見出し画像

訪れたあの街⑨:ボストン

以前訪れた街に思いを馳せる第9弾は、アメリカ・ボストンです。この記事は、沙々良まど夏さんの旅募集企画に参加致します。

ボストンの概要

アメリカの東海岸・マサチューセッツ州の州都、ボストン(Boston)は、アメリカ建国の舞台になった歴史ある街です。

ボストンは、銀行・保険などの金融サービス産業の盛んなアメリカ有数のビジネス都市である一方、世界から観光客の訪れる観光都市の顔を持ちます。また、世界でも屈指の学術教育都市でもあり、チャールズ川を隔てた対岸のケンブリッジ地区にはハーバード大学やマサチューセッツ工科大学(MIT)、市郊外にはボストンカレッジ、ボストン大学など著名な大学のキャンパスが広がり、全世界から集まる学生や研究者、教育者で賑わいます。

アメリカ建国の父の一人にも数えられるベンジャミン・フランクリン、第35代大統領のジョン・F・ケネディら数々の偉人も輩出しています。プロスポーツも盛んで、野球のボストン・レッドソックス、バスケットボールのボストン・セルティックス、アメリカンフットボールのニューイングランド・ペイトリオッツ、アイスホッケーのボストン・ブルーインズは、何度も全米王者に輝いている古豪・強豪チームです。

画像1

◆面積:232.1㎢
◆人口:667,137人(2015年 ボストン市のみ)
◆市制開始:1822年

画像2

ボストンの思い出①

私が初めてボストンを訪れたのは、2002年6月です。ボストン郊外に取引先がありまして、前任者との引継挨拶でした。訪問後には取引先に歓送迎会を開いてもらい、ボストン市内の海の見えるシーフードレストランで名物のニューイングランド・クラムチャウダーをいただきました。

ボストンの思い出②

この訪問でボストンの雰囲気が気に入り、2002年7月の独立記念日のホリディに、妻と二泊三日で訪れました。駐在員になって初の旅行先がボストンなので思い出深い街です。気疲れもあったのでこの旅ではリラックスして、豪遊しようと決めていました。ボストン周辺は地下鉄網が整備されているので、レンタカーなしでも十分に観光を楽しめる街です。

午後半休を取って、昼過ぎのフライトでボストンに到着。ホテルにチェックインした後、最初に名所の一つ、クインシー・マーケット(Quincy Market)をぶらぶらと散策しました。夕食には、市内の有名なシーフードレストランへ行って、時価のロブスターを食べました。この時に覚えたボストン発祥のビール、サミュエル・アダムスは今もお気に入りの銘柄です。

翌日(2日目)は、朝からケンブリッジエリアに行って大学街の喧騒を愉しみ、学生気分になりながらカフェでランチ。午後は地図を片手にフリーダム・トレイル(FreedomTrail)という16の歴史スポットを巡る約4㎞のウォーキングを楽しみ、夜はオシャレなブティックなどが建ち並ぶエリア(忘れました)でフランス料理のコースを食べました。

最終日(3日目)は電車に乗って郊外のボストン美術館を見学し、市内に戻って帰る前に買い物をしました。日本由来の”ボストンバッグ”はボストンの学生が使っていた輸入品を似せて作ったという説があります。ボストンはカバンや靴などの革製品が豊富です。革製品のSales Taxが免除になっていた筈で、妻は革製品を、私は靴を買ったように思います。(記憶が朧気)

ボストンの思い出③

ボストン市街地とは海底トンネルで繋がった対岸にあるローガン国際空港は長い長い改修工事をやっていて、2005年に最後に訪れた時にもまだ終わっていなかったと記憶します。今はきっと綺麗になっていることでしょう。

私が住んでいたデトロイトからボストンへの直行便は非常に高額で、ボストンへ出張する際にはニューヨーク・ラガーディア空港経由にすることが多かったです。ラガーディアからは、デルタ航空とUSエアウェイズ航空(現アメリカン航空)が1時間ピッチでシャトル便を飛ばしていて、便利でした。ビジネス利用の客を意識してか、待合エリアでは新聞・雑誌が無料で山積されていて、毎回拝借していました。

当時のアメリカは雑誌の定期購読が異常に安くて驚きでした。1冊2.75US$のTIMEが、年間購読すると29.95US$で毎週配達されてきていました。(正確な金額は曖昧です)新聞・雑誌がネット媒体と競争していた頃なのでダンピング価格になっていたのだろうと思いますが、活字媒体のコストが安い国だなあと思いました。

世界最古のマラソンレース、ボストンマラソン

毎年4月の第3月曜日(愛国者の日)に行われるボストンマラソンは、1897年に第1回大会が開催された世界最古のマラソンレースと言われています。世界三大クラシックレースの、ボストン・ウインザー・福岡の中でも特に権威のある大会として知られます。レースは折り返しのない片道コースで行われ、30㎞過ぎに『心臓破りの坂(Heartbreak Hill)』と呼ばれる難所の急坂があります。

日本人選手は過去8人の選手が9度の優勝を果たしており、直近では公務員ランナー時代の川内優輝選手が悪コンディションだった2018年に40㎞を過ぎてから逆転して優勝しています。私が特に印象深いのは、1981年、1987年と日本人選手で唯一二回優勝の実績を持つ瀬古俊彦選手です。

瀬古選手は初優勝の前年、1980年大会にも出場したものの、心臓破りの丘の下り坂でスパートしたライバルのビル・ロジャース選手(アメリカ)に引き離され、2位に敗れました。瀬古選手は、一年かけてアップダウンの克服に取り組み、翌1981年にはその苦手の下りで逆にロジャース選手を突き放し、当時の大会新記録で雪辱し、優勝を飾りました。

大会には、男女のプロフェッショナルレース、ハンディキャップレースの他、抽選で選ばれた一般市民も参加できます。出場資格も厳しく人気の高いボストンマラソンを走るのは世界中のランナーの憧れのようです。



サポートして頂けると大変励みになります。自分の綴る文章が少しでも読んでいただける方の日々の潤いになれば嬉しいです。