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『社会的共通資本』を読む❸

今じっくりと読み進めている宇沢弘文『社会的共通資本』(岩波新書2000)の読書感想文❸です。

第3章 都市を考える

第1節 社会的共通資本としての都市

社会的共通資本としての都市とは簡単にいうと、ある限定された地域に、数多くの人々が居住し、そこで働き、生計を立てるために必要な所得を得る場であるとともに、多くの人々がお互いに密接な関係をもつことによって、文化の創造、維持をはかってゆく場である。(P95)

日本は、太平洋戦争に敗北し、焼け野原から出発しました。日本が高度経済成長を遂げる過程で、都市のインフラストラクチャーへの投資が集中的に進み、東京や大阪などは巨大都市化へと変貌しました。20世紀の都市計画に大きな影響を与えたのは、ル・コルビュジェの「輝ける都市 Radiant City」の理念です。企業資本主義体制の中、自動車、整備された道路、ガラスと鉄筋コンクリートが大量に使われた高層建築が都市に象徴になりました。

宇沢氏は、この「輝ける都市」に批判的です。

ル・ゴルビュジェの「輝ける都市」は抽象派の芸術作品としてはすぐれた作品かもしれないが、人間が生活して、人間的交流をもち、人間的な文化を形成してゆく場ではない。ル・コルビュジェの都市では、人間は主体性をもたないロボットのような存在でしかない。(P98)

技術的、風土的、社会的、経済的諸制約条件のもとで、人間的、文化的、社会的な観点からもっとも望ましい生活を営めるように、その地域に最適な都市的インフラストラクチャーを配置し、最適なルール・制度で運営する「最適土地 Optimum City」という提起をしています。

第2節 自動車の社会的費用

自動車の社会的費用は、宇沢氏が提唱した有名な論点です。

自動車の社会的費用という概念は、本来、自動車の所有者ないしは運転者が負担しなければならない費用を、歩行者あるいは住民に転嫁して、自らほとんど負担しないまま自動車を利用しているようなとき、社会全体としてどれだけの被害をこうむっているかということをなんらかの方法で尺度化しようとするものである。(P106)

自動車の社会的費用の内部化の提案です。着目すべき点を5つ挙げています。

① 道路を建設、維持し、交通安全のための設備を用意し、サービスを供給するためにどれだけの費用が実際にかかったかということだけでは不十分。
② 自動車事故によって惹き起こされる生命、健康の損失をどのように評価したらよいか。
③ 自動車通行によって惹き起こされる公害、環境破壊にともなう社会的費用をどのように計測したらよいか。
④ 自然環境の破壊
⑤ 自動車の生産、利用の過程で使われるエネルギー資源の希少化、それにともなう地球的環境の均衡破壊の問題

第3節 都市思想の転換

宇沢氏は、異常に高い自動車の社会的費用が内部化されてこなかった背景に、自動車の果たしてきた光の部分だけが強調され、ネガティブな側面から目を逸らされてきたことがある、と指摘します。宇沢氏は、

ル・コルビュジェの「輝ける都市」の人間的貧困と文化的俗悪とを的確に指摘し、その矛盾を明らかにした(P118)

と評価するジェーン・ジェイコブスの思想に着目しています。彼女が、著作の『アメリカの大都市の死と生』で示している、都市の「再生」のための四大条件引用しています。

① 街路の幅はできるだけせまく、曲がっていて、一ブロックの長さは短い方が望ましい
② 再開発にさいして古い建物ができるだけ多く残るように配慮しなければならない
③ 都市の各地区は必ず二つないしはそれ以上の機能を持っていなくてはならない
④ 都市の各地区は、人口密度が十分高くなっているように計画されなければならない(P120より抜粋)
人間的な魅力を備えた都市はまずなによりも歩くということを前提としてつくられなければならない(P121)

には共感します。

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