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尾崎豊の名曲『卒業』を考える

今日も雨が降りました。先週土曜日に新車を納めて貰ってからの雨濡れ遭遇確率が.666(4/6)になり、白色のボディには、一目でわかる汚れが目立つようになりました。幸先の悪いコンディションで乗り回さざるを得なくなり、悔しいです。

さて、卒業式シーズンも概ね終わりました。先日書いたnote記事の『懐かしの卒業ソング♪3選』のベスト3から敢えて外した曲に、尾崎豊『卒業』(1985)があります。本日は、この曲に就いての屈折した思い出を吐露させてもらいます。

尾崎豊は何に苛立っていたのか……

1983年12月にシングル『15の夜』/アルバム『十七歳の地図』でデビューを飾った尾崎豊(1965/11/29-1992/4/25)は、私の世代を代表するアーティストでした。

ただ、高校生時代の私は、極端な洋楽贔屓で日本の音楽シーンに大して関心を払っていませんでした。理屈をこねる生意気な奴で通していたので、世代の旬のアーティストとして人気絶頂であった尾崎豊に共感を寄せることは出来ませんでした。(BOØWYですら敬遠してましたので......)

共感を寄せるどころか、どちらかと言えばやや否定的に見ていたアーティストでした。本能的に、この歌詞は胡散臭い…… 尾崎の本音はこれではない筈……  予期せぬカタチで若者のカリスマに祀り上げられてしまったので、周囲の大人から後戻り出来なくさせられてる…… という印象を持っていました。

ただ現在は、私もこの年齢(55歳)に達したことで、当時18~20歳の尾崎豊の苛立ちがぼんやりと理解できる気がします。彼の生来のずば抜けた感性の鋭さからくる衝動が内部で日々爆発しており、理性で抑えることは不可能だったのだろうな、いや常に爆発しているフリを周囲から求められて辛かっただろうな、と共感できるものがあります。でも、尾崎が『敵』と見做した対象は何だったのでしょうか?

で、『卒業』の歌詞を深読み……

で、彼の代表曲に数えられる『卒業』(作詞・作曲:尾崎豊 1985)です。当時は失礼ながら、余りにも青臭すぎる歌詞が際立っていて、当時の私には許容することは到底無理でした。

夜の校舎 窓ガラス壊してまわった

尾崎豊『卒業』より

は、当時も今も立派な犯罪行為です。当時の私も、さすがにこの衝動には共感出来ず、『これは、あかんやろ……』『尾崎の単なる妄想だったらまだいいけど、彼が本当に犯した行為ならば、誠心誠意罪を償うべきだろうなあ……』と、真剣に思いました。1‐3月はまだ寒いので、そんなガラスのない校舎に通う学生が迷惑するだろう、と真剣に文句を言っていました。『卒業』がヒットしてしまったが為に、模倣犯によって意味もなく割られてしまった全国の校舎のガラスはかなりの数に上っただろうし、被害金額も半端なかった筈です。

三十三回忌を迎える2024年

1992/4/25、衝撃的だった尾崎豊の死から今年、2024年は満32年目にあたるので、彼の三十三回忌の年忌法要が行われる筈です。三十三回忌は、故人の最後の法要になる、とされます。彼の死後に誕生し、生前の尾崎の活躍をオンタイムでは知らない世代が、今では社会の中堅を担おうとしています。

尾崎豊(1965‐1992)

尾崎豊は、後世に語り継がれるべきアーティストであり、遺した楽曲は聴き継がれるべきだと思います。生前の生き様に否定的だった私が、彼について語る資格は全くないのですが、今夜は敢えて彼の生涯消えなかった苛立ちに、心を寄せながら綴らせて頂きました。


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