見出し画像

近くにも遠くにも感じる村上春樹氏

本日は、こちらに来てから手に入れて、ひとりの夜に何度も読み返している雑誌、BRUTUSの『特集 村上春樹 上・下』から感想文です。切り取ってコメントしたい部分は多々あるのですが、下巻の”村上小説を音楽で読む。”からの掘り下げです。

音楽マニアの村上氏

ご自身で自覚されているか定かではないですが、村上氏の生き方や価値観に憧れ、羨ましいと思っている人は、自分のみならず、世界中に無数にいるだろうと思います。

比較するのもおこがましいですが、私が愛している四つの要素、本・音楽・旅・酒をハイレベルで楽しんでいる村上氏の生き方は羨ましい限りです。世界でも高名な職業作家として、コンスタントに創作活動を続けている姿に悲壮感がありません。

奢った所が微塵もなく、淡々と優れた問題作を世に問う一方で、好きな音楽や、旅や、お酒や、人生を楽しんでいるように見えます。自然体で自分の生活スタイルを守り続けるのが、ものすごくカッコいいと思います。

1980年代の音楽を総括する一説

彼女の隣に置かれた巨大なサンヨーのラジオ・カセットからはエリック・クラプトンの新曲が流れていた。(略)
マイケル・ジャクソンの唄が清潔な疫病のように世界を覆っていた。それよりは幾分凡庸なホール&オーツも自らの道を切り開くべく健闘していた。想像力の欠如したデュラン・デュラン、ある種の輝きを有しながらもそれを普遍化する能力が幾分不足した(不足していると僕には思える)ジョー・ジャクソン、どう考えても先のないプリテンダーズ、いつも中立的苦笑を呼び起こすスーパー・トランプとカーズ……その他数知れぬポップ・シンガーとポップ・ソング。(『ダンス・ダンス・ダンス』下)

下 P50

村上氏は、長年あらゆる音楽を聴き続け、筋金入りのレコード・コレクターとしても知られています。音楽が好きなのでしょう。自分の小説や作品について語ったり、プロモーションをしたりには積極的ではない印象がある一方、音楽に関するインタビューには割と気軽に応じている感があります。

1949年1月生まれの村上氏と、1968年生まれの私とでは、学制レベルだと丁度20年の差があります。村上氏が熱心に音楽を聴いて思春期を過ごしたのは1960年代で、私がインスパイアされたのは、1988年発表の『ダンス・ダンス・ダンス』のこの部分で、はっきりとディすられている音楽です。

音楽嗜好の明確な違い

でもこのラインナップ、すごく正確。イメージで書いてるのではなく、ちゃんと83年春にラジオでかかってた”つまらない曲”を並べてる。

大谷能生(音楽家、サックス奏者、評論家)P51

私が洋楽の世界に入れこむきっかけをもらった思い出深い楽曲を、1972年生まれの大谷氏から”つまらない曲”と一蹴されたことは、自分が「センスのないつまらない奴」と断言されたように感じて、悔しい思いがしました。

60年代の音楽に触れ、ジャズやクラシックにも造詣が深い村上氏にとっては、80年代の商業色の強いヒット曲は物足りない限りなのでしょう。

近くて遠い人

村上氏の長編小説も短編小説も、エッセイやラジオも、生活スタイルにも興味は尽きませんが、深く知りたい、近寄りたいという気持ちは強くありません。つかず、離れず、遠くで眺め続けたい人物です。

サポートして頂けると大変励みになります。自分の綴る文章が少しでも読んでいただける方の日々の潤いになれば嬉しいです。