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訪れたあの街⑧:蒲郡

以前訪れた街に思いを馳せる

制約のかかっていた「移動の自由」は徐々に緩和されてきて、移動好きの心に再び活動再開の希望が燈り始めました。感染症拡大リスクは完全には解消されないものの、節度を守った上での行動は社会的に容認されつつあるように感じています。

長らく海外志向が強かった私も、ここ数年は日本国内に点在している、興味はあったものの旅する機会がなかった街を初めて訪ねてみたり、以前短時間立ち寄っただけで記憶にうっすらとしか刻まれていない街を再訪したり、してきました。第8回目の今回は、愛知県の蒲郡市です。このnoteは、♯おうち旅 に参加致します。

蒲郡市の概要

蒲郡市は愛知県東部、風光明媚な三河湾に面する街です。東海地方屈指の景勝地でもあり、三河湾国定公園に属する竹島や海水浴客で賑わう三河大島の他、マリンリゾート、ラグーナテンボス、竹島水族館などの観光施設も充実しています。山側に温泉地もあり、観光都市の一面を持ちます。プロ野球を代表するピッチャー、ソフトバンクホークスの千賀滉大投手の出身地です。

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◆面積:56.92㎞
◆人口:79,664人(2020年6月1日現在推計)
◆市制開始:1954年4月1日(愛知県下15番目)
- Wikipediaより抜粋

蒲郡の思い出

昨日(2020/9/1)、青春18きっぷを利用した岡崎城観光の帰りに短時間立ち寄りました。記憶が確かならば21年振りで、以前に3回訪れています。

僅か3回の滞在なのですが、それぞれ大切な思い出があるので、訪問頻度の割に印象深い街です。今回その記憶を紐解きます。

①友人達との旅行で(1991年)

大学を卒業して社会人になった年、夏休みを利用して法学部仲間で旅行に行こうという計画が持ち上がりました。関東在住組と関西在住組の中間点がいいねえ、ということで蒲郡に白羽の矢が立ち、現地集合で集まりました。確か、土曜日に1泊しての日曜日帰りという強行日程だったと思います。

当時私は埼玉県にあった会社の独身寮に住んでいたので、関東組の一員として、土曜日の早朝に仲間の車に同乗して移動しました。滞在中は好天に恵まれ、竹島水族館に行ったり、フェリーで島に渡って海水浴をしたり、夜はカラオケを歌いまくって深夜まで痛飲したり、とにかく無茶苦茶に楽しかった記憶だけが残っています。

社会人になってまだ数カ月で、日々気を張って緊張感を持って過ごしていた時期だったので、束の間学生時代の気の置けない仲間と過ごす時間がとても心地好かったのだと思います。

②想定外で(1992年 or 1993年)

二度目の蒲郡訪問は全く想定外でした。時期は明確に思い出せませんが、1992年か1993年、夏の終わりか秋のはじめ頃でした。

土曜日の朝に神戸で私用(友人の結婚式だったかもしれませんが、忘れました)があり、朝移動ではその予定に間に合わないので、金曜日の夜から夕方東京駅から出て夜通し走って翌朝岐阜県の大垣駅までいく鈍行列車(当時ムーンライト長良号だったかは不明)に乗る予定でした。

ところが仕事が終わらず、目的の電車に乗り遅れてしまいました。諦めて新幹線を選択する手もあったのですが、「鈍行列車で行ける所まで行くか…」という悪魔の囁きに従い、19時頃発の東海道線に乗り込みました。ラッシュで混み合う電車の中、荷物が邪魔だったことは覚えています。

西へ向かう電車を何度も乗り継ぎ、いよいよ豊橋駅で最終電車がなくなりました。「いける所まで歩いてみようか… 翌朝移動して神戸で銭湯でも入ればいいし…」という気分に襲われ、豊橋から西を目指して、主要幹線道路沿いを歩き始めました。

主要幹線道路とはいえ、深夜の通行車両はまばらで街灯のないところは真っ暗です。心細い思いと「やんなきゃよかったなあ」と後悔の思いを抱えながら、大きな荷物を持って休み休み10㎞近くは歩いたと思います。着ていたジャケットとワイシャツは汗まみれ、お気に入りのスコッチ・グレインの革靴の底が擦り切れて台無しになりかかっていました。

歩き始めて1時間くらいたった深夜の2時過ぎ位だったと思います、歩道を歩き続ける私を追い抜いた軽自動車がちょっと先で停車しました。運転席のおじさんが、窓を開けて声をかけてくれました。

「お兄さん、どちらまで行くの?」

「特に目的地はないんですけど…」

「俺たち、蒲郡の方まで帰るけど、乗ってくかい?」

助手席にはおばさんもいました。仕事の帰りだと言っていましたので、ご夫婦だったのだと思います。「ここから蒲郡までは何もないよ。あんな暗い道を歩くなんて危ないなあと思ってびっくりして声掛けたんだよ」とおじさんから言われました。知らない土地でその親切が身に沁みました。

JR蒲郡駅まで送ってもらい、礼を述べて別れました。駅は施錠されていて構内に入れません。4時台に始発電車があることがわかりました。始発電車の時間までにはまだ2時間くらいあったので、近くで時間を潰せる場所を探しました。

駅から海の方まで歩き、海の見える公園のブランコに座って、色んなことを考えながら、日の出を待ちました。段々明るくなってくる光景は壮観でした。あんな美しい光はちょっと記憶にありません。

無謀なことをした後の清々しい気分だけははっきり覚えています。始発から鈍行列車を乗り継いでも、予定時間には間に合わないことがわかり、蒲郡から乗った始発電車を名古屋で下車し、新大阪までは新幹線を利用しました。

コストも体力も無駄に消費しただけの行動に終わりましたが、予定調和的な毎日を送っていたら絶対に経験できない人の親切や美しい光景には出会えました。この日の経験は、「無駄なことにも意味がある」という価値観醸成に一役買っています。

③ある女性と(1999年)

三回目の蒲郡体験は、刈谷市で行われた横浜FCとデンソーとのサッカーJFLの試合の前に立ち寄った短時間です。

ある飲み会でサッカー好きの女性とサッカーフランスワールドカップの話題で盛り上がり、仲良くなりました。彼女は元々横浜フリューゲルスのファンで、親会社だった全日空の撤退でチームが消滅した後は、旧ファンの呼び掛けで発足した横浜FCのサポーターでした。

彼女に感化された私は、当時埼玉県在住ながら横浜FCファンクラブ(フリエ)に入会しました。今はもう退会していますが、割と若い会員番号を持っていました。今、横浜に住んでいるのは因縁を感じます。

そこそこ熱心なファンだった私たちは、私が運転するクルマで、刈谷で行われる横浜FCの試合を応援しにいくことにしました。東名高速が渋滞する懸念があったので朝早めに東京を出たら意外と順調で、試合開始までにだいぶ時間があったのだと思います。おそらく、どこでランチするかという話になった時、上の①②で多少の地理感があった蒲郡に立ち寄ることを私が提案したのだと思います。

海沿いの芝生の上でサッカーボールを蹴ったり、砂浜に打ち上げられた流木のオブジェや貝殻を拾ったり、カフェで海を見ながらランチをしたりしました。刈谷に向かう途中、「これ、まるでデートだね」「ほんとだね」と言ったか、言わなかったか… 私にとってはかなり楽しい時間だったことは間違いありません。

肝腎のサッカーの試合結果もクルマの中で他にどんな会話をしたのかも今となっては全く覚えていません。彼女は女優の中谷美紀似の凄く魅力的な女性でしたが、恋人関係に発展することはなく、うすい友人関係のままでした。

その数年後にそれぞれが別の人と結婚してからも、しばらくはメールでのやり取りがありました。彼女に子供が生まれたり、私がアメリカに行くことになったりして残念ながら連絡は途絶えてしまいました。このデートもどき体験をした当時、私は既に30歳を越えてましたが、あの日の甘酸っぱいどきどきした思い出は今でも懐かしく心に残っています。

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