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野球人・桑田真澄を考える

猛威を奮う新型コロナウイルス感染症の影響で、長い歴史を持つ全国高等学校野球選手権大会の中止が決定されてしまいました。夏の風物詩とも言える甲子園での高校野球が開催されないのは、とても寂しい気分です。ここ数日は、YouTubeで過去甲子園で繰り広げられた名勝負の映像を漁っています。

野球に真剣に取り組む高校生たちにとって、甲子園は聖地です。幾多の名勝負が生まれ、名選手を輩出しました。その時代、その時代に、日本中を熱狂させたスーパースターがいました。私の世代のスターは、清原和博・桑田真澄のPL学園KKコンビをおいて他にありません。清原氏も大好きですが、本日は桑田氏の思い出を記したいと思います。


高校野球=KKコンビ

私は今も昔も高校野球ファンです。小学生の頃は、自分が甲子園に出場して、あの舞台でプレーをすることに本気で憧れていました。

それなのに、中学では野球部に入りませんでした。当時、野球は地域で最も運動神経の優れた子供たちがやるスポーツでした。自分の素質と野球センスにまるで自信がなかった私は、野球部に入って、レギュラーを取って活躍できるというイメージがわきませんでした。挑戦の第一歩すら踏み出さずに、早々と甲子園の夢を諦めました。人生最初の挫折かもしれません。

それ以来、野球は観て楽しむものになりました。中学生になってからも、甲子園大会だけは毎年追いかけ続けました。

KKコンビが知られるようになったのは、1983年夏の甲子園です。大会開幕前から名門PL学園の投打の主軸が1年生であることは話題になっていました。そのPL学園が準決勝で、徳島代表・池田高校を7-0の大差で破りました。池田は、前年夏・同年春と連続優勝を果たしており、優勝候補の最右翼でした。当時のチームは、高校球界史上最強の呼び声すらあり、PLの勝利は大番狂わせでした。

この試合で桑田氏は、超高校級の投手だった池田のエース、水野雄仁氏からホームランを打っています。完全に主役交代となり、以降の高校野球はPL学園とKKコンビを中心に回っていくことになります。

磨き抜かれた投球術を持っていた投手

見た目から威圧感のあった清原氏とは違い、桑田氏は公称174cmと野球選手としては小柄です。顔つきにも荒々しさはありません。性格も普段は物静かで、声を荒げたり、人に鉄拳を奮ったりすることもなかったようです。しかしながら、身近で接してきたPL学園の後輩たちが「桑田さんが一番怖かった」と振り返るのは何となく理解できます。

桑田氏が、PL学園の後輩・片岡篤史氏のYouTubeチャンネルに出演した際、PL学園時代のエピソードを語っています。中学時代シニアの全国大会で準優勝投手に輝いている清原氏が、「桑田の投球を見てピッチャーを諦めた」と語るほどですから、桑田氏は入学直後から抜群の素質を見込まれて順風満帆だったのかと思っていました。

ところが、最初は結果が出ずにピッチャー失格、野手転向を申し渡され、一度は野球を辞めようと思ったそうです。意志の強さとたゆまぬ努力量で知られる桑田氏にもそんな暗黒時代があったことが意外でした。

ある日、練習中に守っていたライトからの返球の凄さを偶然目にした清水コーチに素質を見出されたのは、桑田氏の持っていた特別な運だったのかもしれません。しかしながら、その後の猛練習に耐え、素質を開花させ、プロ野球の一流投手まで到達したのは桑田氏自身の力です。

高校最後の夏は「甲子園で優勝する為に」という目的から逆算して戦略を立て、実践したと言います。甲子園の連戦を乗り切るために体力をできるだけ温存すること、指に豆を作らないために球数を抑えることを優先し、若いカウントから打たせて取る投球術を考えたそうです。打者の実力や特徴を見切って、セカンドゴロやレフトフライを打たせる為のボールを狙って投げていた、という高校生離れした話には感服しました。

目標を立て、戦略を立て、仮説を立て、必要なスキルを身に付ける練習を編み出し、試合で実践し、誤りは修正し…… を繰り返すから大投手になり、人間性にも深みが加わったのだと思います。自分の頭で考え抜くことがいかに大切か、身につまされる思いです。

桑田氏の投球術は、自分が達成したい大きな目標から逆算した戦略から生み出されていたと言えます。高校時代の桑田氏の目標は、プロ野球でもエースとして活躍することだったので、PL時代はあえてストレートとカーブ以外の球種を使わなかったと言っています。高校生相手に、ストレートとカーブだけで抑えられないようでは、プロでは到底通用しないだろう、という考えからだったようです。

ピッチャーは特別なポジション

小学生で野球を諦めた私ですが、その後、ちょっと揺り戻しがあります。

会社員になってすぐ、同じ独身寮で生活する同期入社の仲間から草野球チームに誘われ、チームに入ることになりました。チームメイトには、高校時代に甲子園に出場した野球経験者もいましたが、チーム事情から私がピッチャーをやることになりました。球速はないもののコントロールがよく、四球が少ないことが投手に抜擢された理由でした。

私はそれまでに一度もピッチャーをやったことがありませんでした。これは思った以上に楽しい経験でした。草野球とはいえ、「ピッチャーってこんなに楽しかったんだ」というのが本音でした。

マウンドから見る景色は特別なものがあります。野球はしょっちゅうゲームが止まるスポーツで、全てはピッチャーがバッターに対して球を投げることがスタートになります。ゲームの主導権を握っているピッチャーという役割には、想像以上の快感がありました。

桑田氏とはレベルが違い過ぎるとはいえ、打者を打ち取るための効果的な投球術を考えました。コーナーや高低を投げ分けたり、ボールとストライクを出し入れしたり、それはとても楽しい経験でした。

人生を学ぶなら野球なのかなあ…

私は、スポーツ観戦全般が好きです。そして、野球よりもサッカー好きを公言してきました。プロ野球の試合をテレビ観戦して楽しいと感じることは、余程の好ゲーム以外ありません。球場で生の試合を観たのも数える程です。しかし、少年時代の野球経験から、一流選手の技術や知性を感じ取る眼はあると自負しています。

野球は米国から伝わったスポーツですが、日本で独自の発展を遂げており、よくも悪くも米国のベースボールとは別物、日本の国技と言ってよいスポーツになっています。

最近になって、人生を渡るための学びは、野球からたくさん学び取れることに気付きました。野村克也、落合博満、古田敦也、イチロー、ダルビッシュ有…… 私が尊敬する野球人は、皆優れた知性を持つ人たちばかりです。彼らが使うことばには、知恵と気付きが詰まっています。

桑田真澄氏も、野球界屈指の知性の持ち主です。自身で実践してきたものが独自の理論まで昇華しているし、人間性もずっと磨き続けている努力家だと感じます。柔和そうに見えるものの、既成観念を打破したいという革命家的資質、危険な凶器を隠し持っていることも感じます。静かに人を斬るような凄みを感じさせる人です。

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