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10年後も東京の独り勝ちなのだろう

本日は、『10年後も東京の独り勝ちなのだろう』というタイトルで、自由に妄想を膨らませながら、素直な感情を吐露してみたいと思います。

東京を目指す地方女子

今日のテーマは、『東京』の考察です。きっかけは、最近何度か目にした、「地方在住の女性たち(特に10代~20代)が、東京を目指す流れが加速している」という趣旨の記事やテレビのドキュメンタリー番組でした。その理由として挙げられているのは、単なる都会生活への憧れでは片付けきれない深刻な闇が潜んでいるようで、男の私でも十分に理解できるものでした。それは、

● 魅力的な働き先が少なく、ビジネスキャリアを描きづらい。
● 地方には、男尊女卑的な社風の職場も多く、就職してもアシスタント的な仕事しか任せてもらえない。
● 地域にも、男尊女卑的な空気やしきたりが根強いく存在する。結婚→子どもを産み、育てる、という役割ばかりを期待されているように感じる。
● 地域のイベントでは、男達が楽しんでいる傍らで、何かと下働きさせられている母の姿を見て、うんざりしていた。

といったものでした。確かに、少子化対策が叫ばれれば叫ばれるほど、若年女性たちには有言無言のプレッシャーになっているような言質や論説も目立ちます。

東京は地方の若者を吸引し続ける

日本の中心である東京は、地方で育った若者を吸引し続けています。そのせいか、人口減少社会・少子高齢化の問題が叫ばれるようになってから久しいものの、東京を含む首都圏在住者の危機感は乏しいように感じます。

事実、私が地方で育ち、東京に出ることにひたすら憧れを描く少年でした。在京の大学の受験に失敗してしまったことで、思い描いた上京計画は4年遅れとなったものの、就職して希望通り東京本社勤務になり、夢は実現しました。平日は、埼玉県の独身寮と東京都内の会社とを往復するだけではありましたが、金曜日の夜や週末は、念願の東京生活を楽しみました。故郷とスッパリ縁を切りたかった訳ではないものの、東京生活には解放感、ワクワク感がありました。

上京して1年もする頃には、都心の地下鉄や私鉄を乗りこなし、銀座、渋谷、新宿、池袋、赤坂、六本木、などの繁華街もある程度わかるようになり、関西弁のイントネーションは自然に消えていきました。2~3年目になると、恵比寿、神保町、青山/表参道、自由が丘など、好きな街もできました。仕事が忙しくなる20代半ばになると、東京的な価値観や生活習慣が当たり前になり、企業戦士よろしく暮らしていました。給料の安い貧乏サラリーマンで、思い描いた華やかな東京生活を謳歌するには程遠い生活でしたし、もろもろの文句はあったものの、当時は「もう地元へは帰れないな……」という気持ちでした。

なので、地方の若年女子が、東京生活に憧れの気持ちを持つことは理解できるし、野心と自分を持っている人には、一度は東京生活を経験してみることをお薦めする気持ちは今も変わりません。ただ、以前にも書きましたが、私自身は東京を心の底から好きにはなれませんでした。少なくとも、住みたい街ではありません。

後10年は東京一極集中……

冷静に俯瞰すると、国際社会における”TOKYO”の地位は凋落を続けていることは否めない気がします。東京が全く進歩していない訳ではないものの、お世辞にも世界の最先端を行っているようには思えないし、明らかに活気や変化のスピードは鈍化しているように思います。地方の衰退を尻目に、吸血鬼のように地方から血を吸い上げながら、何とか栄華とプライドを保っているような印象すらあります。

目下、東京都知事選挙が展開中ですが、不思議な空気感が漂っています。現職の小池都知事が、どこまで本気で東京の発展を考えているのか甚だ疑問ではあるものの、かといって蓮舫氏ではなあ…… という諦観の中、選挙戦が進んでいっている印象です。

現時点で質量共に東京を凌駕するような大都会は日本には存在しないし、10年後も東京一極集中は続いていることでしょう。東京について考える時は、モヤモヤした気持ちが隠せません。

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