『太平洋戦争への道 1931-1941』を読む(その1)
本日は、半藤一利・加藤洋子・保坂正康『太平洋戦争への道 1931-1941』(NHK出版新書2021)の「序章 太平洋戦争とは何か」から、学びを記録しておきたいと思います。本書には、私が個人的に学んでおきたい重要な視座が含まれていて、日本近代史(明治維新~太平洋戦争終結)、日本現代史(日本占領~現在)を考える役に立つと考えています。
大東亜戦争⇒太平洋戦争
この序章(P15~32 脚注を含む)部分と章末に保坂正康氏によって追記された”「戦争呼称問題」に見る近代日本の宿痾”(P33~42)というコラムは、戦争を理解する為の補助線として、非常に価値が高いと思います。
「先の戦争」をどう呼ぶのが妥当なのか? という点は、私もずっと疑問を感じていました。事象に対してどのような呼称を与えるかには、思想や国家意思が強く反映されます。事象に用語をあてがうことで、特定のイメージや価値観に紐付けられていくのは、日常でもよくある光景です。
当時の日本政府は、日米開戦(1941)の真珠湾攻撃の四日後に、既に進行中であった日中戦争(1932~)を含めて「大東亜戦争」と呼称すると定めました。現在一般的に使われている「太平洋戦争」という名称は、敗戦後に連合軍から強要されたもの、すなわちアメリカの戦争観が反映されたものであるようです。(P21~22の記述より)
国家レベルで確立されていない戦争観
『先の戦争に対する日本人の戦争観は固定化されておらず、依然としてぐらぐらと揺れ続けている』というのが、ライフワークとして関わり続ける保坂氏の問題意識です。そして、多くの日本人が、「戦争は嫌だ」「平和を望む」と考え、口にするのは、深い理解と熟考を経て確立された戦争観に基づいた「反戦」「非戦」からではなく、戦争後期の悲惨な体験やイメージに紐付けられた強い「厭戦」「嫌戦」のレベルにとどまっているのではないか、という指摘をされています。(P27~28)非常に鋭い考察だと思います。
保坂氏は、
と総括していて、国際協調が崩れていく最初のきっかけが、日本陸軍の主導で引き起こされた満州事変であった、という見方を提示しています。
加藤氏は、1920年代は国際協調の空気に反対の立場を取る、「テロの時代」でもあったという視座を加えます。1929年に起こった世界大恐慌によって、経済秩序と考えられていた金本位制が破綻し、国際連盟も有効に機能せず、政治では民衆を制御不能になったのが1930年代である、という捉え方です。これも興味深い総括です。
半藤氏は、日本の軍事的な対外進出を先頭に立って煽った張本人はマスコミであり、その高揚感に国民的支持が与えられ、軍国化が進んでいった点を強調しています。この考察も的を得たものであると感じます。
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