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Mr.Children『Documentary film』に感じたこと

本日は、Mr.Children『Documentary film』の歌詞とミュージックビデオ(MV)に描かれた世界観を味わって感じたことを言語化します。


圧倒的クオリティ

今年になってから、時計の針を逆に戻すかのようにMr.Childrenの過去からの楽曲に触れ直して、魅力に浸る時間が増えています。

2020年12月に発売された通算20作目のスタジオアルバム『SOUNDTRUCKS』に収められている「Documentary film」も、私が心をギュッと掴まれた一曲です。デビューから30年近く経っても、ミスチルはまだまだ現役ばりばり、ミュージック界のセンターを張るバンドなのだと再認識しました。

『Documentary film』は、過去から積み上げてきたミスチル要素が結集された完成度の高い一曲です。また一つ、名曲リストの棚の一角に鎮座することが確定したように思います。

曲のあたまから紛れもなくミスチル節であり、ミスチル以外ではあり得ないと思わせます。世界中がコロナ禍の重苦しい空気から脱け出せずにいるこの時世に、最大公約数的に望まれているであろうタイプの楽曲を、期待以上のクオリティで、そっと提供してくれるのは、彼らの「優しさ」であり「強さ」なのだと感じます。

聴き込んでいく内に、歌詞やMVに込められた意味を、時代性も踏まえて深く考え、つい誰かと語りたくなるメッセージ性を兼ね備えた一曲になっています。さすがです。

歌詞の世界に感じたこと

多くのファンが感じるように、桜井氏は、世界観を伝えるために選択することばの感覚が抜群に凄いと感じます。この曲では、割とストレートな表現を用いて、真摯な思いを丁寧に伝えることが意識されていると感じます。

私は、この楽曲のメッセージを「生あるものはいずれ滅ぶ、永遠はない」と読み取っています。「僕」と「君」とでドキュメンタリーフィルムを回し続けていくという感覚の主体に、「自分」と「大事な人」を投影してもいいし、50代を生きる桜井さんと私たちをイメージしてもいいかもしれません。

二番のこの部分の歌詞で、

枯れた花びらがテーブルを汚して
あらゆるものに「終わり」があることを
リアルに切り取ってしまうけれど

そこに紛れもない命が宿ってるから
君と見ていた
愛おしい命が

比喩表現のままぼやっとさせておいてもいいのに、強いメッセージをしっかり盛り込んでいるのが、ちょっと新鮮でした。

MVの描く世界に感じたこと

この曲のMVには2パターンあり、セピア色のライブバージョンも素晴らしいものの、印象深いのは、少年と少女の物語の方です。

冒頭にアニメーションと語りによって、
● 経験したことが深く脳に刻まれ、記憶を忘却できない少女
● 経験したことが脳に長期記憶されず、全てを忘れてしまう少年
の物語であることの説明が挿入されています。

愛犬を喪った悲しみから脱け出せず、沈痛な毎日を送る少女と、宇宙飛行士がかぶるような白いシールドをかぶり、記憶を蓄積できない悲しみを抱えた孤独な少年が、徐々に気持ちを通わせていきます。

社会との遮断をイメージさせるシールドは、コロナ禍が続く今の時代には妙にリアルです。少年は、自分が記憶を長期保存できない障害を抱えていることを知っています。日々書き残すメモと写真をまとめた記憶代わりのメモ帳(Documentary Flim)を未来の自分に繋げながら、巡り来るその日その日を精一杯に生きています。

ある日、二人で森の中の秘密基地に飾ってあった大きな木のある場所を目指します。少年は、その景色を写真(記憶)に収めようとする際に、それまで一度も外すことのなかったシールドを脱いで、少女に渡します。二人が信頼で結ばれた瞬間です。

ラストは二人で部屋にいるシーン。シールドを外した状態で少女の傍らで眠っている少年がいます。少年が目覚めた時、少女と木を見た記憶は消え去っています。少女は、幸福そうな表情を浮かべながら、少年のDocumentary Filmという表紙のついたメモ帳を眺めています。ここでMVは終わります。

少女が消し去りたい、少年が残しておきたい、と考えているものは、自分の意思によって選別され、編集された記憶(memory)であり、全てを記録したデータ(data)ではありません。

共有し続けたいのは、データではなく、二人で共有した時間そのものでもなく、その時に抱いた感情の記憶です。私たちの大多数も、単なる記録が重要なのではなく、大切にしたいのは意味を持った自分だけの記憶です。

映画監督の庵野秀明氏は、松本人志氏との対談の中で『編集者の手が加わって切り取った映像になっている時点で、純粋なドキュメンタリーではない。ドキュメンタリー映画とはそういうもの。』と語っています。

テクノロジーを使えば、起こる全てのことを記憶媒体に記録することが可能になっています。社会の支配・統治を担う人々、ビジネスに利用したい人が価値を置くのは、個々人が大切に守りたい主観的な記憶よりも、記録された膨大なデータです。それぞれの人が語る思い出は、主観によって誇張されていたり、不都合な部分がカットされていたりして、客観的に見ると、事実と異なっていることが少なくないからです。

記録されたデータを効果的に組み合わせれば、人の感情や記憶を捏造することは難しくありません。「思想」や「歴史」は都合よく作られてしまうし、誘導も洗脳も思うがままです。大切な事実を歪曲することも、消し去ることもできてしまいます。

そんなことを考えながら、この曲を聴き続けていると、『Documentary film』は絶妙のタイトルだと思ってしまいます。その人、その人の持つ記憶を大切に保守できる時代が続いて欲しいと思います。


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