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千里の道も一歩から

本日は11年前の記憶を辿る備忘録です。

息子との初対面から流れた月日

本日、私たち夫婦の最愛の息子が11回目の誕生日を迎えました。11年前も木曜日で、息子がこの世に誕生してきてくれた夜は雨が降っていました。

当時、大阪支社勤務だった私は、2010年4月1日付で東京本社へ転勤することが決定しており、この日は岡山県の顧客に離任の挨拶の為に出張中でした。仕事を終えて神戸の自宅に帰る電車の中で、義母から「今夜生まれそうだからすぐ来て」という連絡を受けました。もともと出産予定は4月でした。父親になるのだという気持ちの準備がまだ十分には出来ていませんでしたので、戸惑いました。

新神戸駅から新幹線に乗って、名古屋を過ぎたあたりで携帯が鳴り、義母から「無事に産まれた」という連絡がありました。不思議な心地でした。東京の病院にたどり着いた時にはもう深夜になっていて、初めて息子の顔を見た時には翌日になっていました。もう11年前の出来事だと思うと月日の経つのは早いものだと実感します。

そして私も一歩踏み出す

そんな特別な一日である今日、私も本当に遅蒔きながら、本格的な社会復帰を目指して税務署に個人事業主登録を提出しました。身元確認と提出書類の確認に要した時間はほんの数分で、受理スタンプを押された控え書類が帰ってきたので、ちょっと興醒めでした。

さしあたりは、フリーランスの物書きとしてネット経由で仕事を受注しながら、細々と経験を積んでいこうという決意をしました。随分と長いモラトリアム期間を経たものです。

年齢的に再び会社員の仕事に戻ることは、会社員を辞した時点で望んでいませんでした。会社員は十分やり切ったという思いもあったし、自営業で勝負することは、ある意味既定路線でした。失業保険の給付も昨年10月の段階で切れていたのはわかっていましたが、地方移住を考えていた(今も考えている)こともあって、個人事業主登録を出すことに二の足を踏んでいるうちにズルズルと時間が過ぎてしまいました。

とはいえ、グズグズしていても状況は変わらないし、家族を不安にさせ続けるのはよくないと痛感し、とにかく徒手空拳でも前に進めてみます。息子の誕生日に合わせて新しい道を歩むことに決めました。

「書くこと」をお金にできるか?

これまでこうして毎日noteを書き続けてきたものの、お金を頂いてモノを書くビジネス・ライティングの実績は皆無です。コピーライターという職業分野についても、つい最近になって勉強を始めたばかりの素人です。

いわば、グラウンドの隅でピッチング練習してきたようなもので、歴戦のプロに伍してお金を得る仕事を獲得、評価を得るのは、そんな簡単な話ではないでしょう。苦労することは最初からわかっています。

何かを書くことは好きなことなので、本当はライスワークにしたくなかったというのが本心です。でも、今の私にマネタイズできる可能性があるのはこれくらいしかありません。覚悟を決めて努力していきます。

屋号は、noteで使用している markover50を使うことにしました。千里の道も一歩から。誰でも、最初は底辺からのスタートです。農業人になる夢も捨てずに追いかけていきます。新米ライター、markover50をどうぞよろしくお願いします。

サポートして頂けると大変励みになります。自分の綴る文章が少しでも読んでいただける方の日々の潤いになれば嬉しいです。