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『暴力』ということばから考えたこと

本日のテーマは、私の所感です。事実関係を深掘りできておらず、生乾きのような状態なので、後日再検証を入れていく前提で書いておきます。

暴力は絶対に許されない! ホント?

先日、安倍前首相が銃殺された際に、『いかなる理由であれ、暴力は絶対に許されない!』という意見を多く目にしました。人を殺す行為が許されない、という趣旨については、私も何の異論も無く受け容れるのですが、「暴力」全般と広く括って、異論は寸分も許さない…… という展開になると、それは幾らなんでも行き過ぎでしょう、というのが正直な感想です。

そう思う理由は、「暴力」ということばの定義が曖昧なまま議論を進めてしまうと、『許されない!』の範囲が極端に攪拌され過ぎてしまい、そのことの方にむしろ危うさを感じるからです。何を「暴力」と捉えるかについては、個人差が非常に大きく、広範な解釈をする人も少なくありません。何でもかんでも、「暴力」ということばに背負わせるのは、「暴力」ということばの起源を探ると、少々過大だろうと思ってしまうのです。

violence=暴力、という対訳は最近の話

ネットで最近偶然辿り着いた下記情報に驚きを覚えました。

「violence」を日本語で「暴力」と翻訳した最初はいつか、またそれは誰かを知りたい。 | レファレンス協同データベース (ndl.go.jp)

初訳の事実については確認することができなかった。
所蔵資料の範囲内では、1931年刊の『大英和辭典』(市河三喜,畔柳都太郎共著 富山房 1931)に掲載されているが、それ以前の辞典類では掲載がない。
埼玉県立久喜図書館の回答

ラテン語のviolentusに起源を持つviolenceという英語に、「暴力」という訳語があてがわれたのは、比較的最近だということです。この調査は、埼玉県立久喜図書館という専門知識を有した機関が行っていますので、かなり精緻な調査が行われた上での見解と想像します。そして、今では誰もが知っていて、日常的に使うことばになっている「暴力」という訳語を、誰があてがったのかも不明なのです。なぜ、「暴力」ということばが生まれたのか、その意図は何だったのかが不明なまま、その勢力を拡大し続けているようなのです。

暴力の行使が許されるのは……

そして、出典がどこだったのか失念してしまったのですが、violenceとは、被支配者階級に属する者が、支配者階級に対して向けられる物理的行使のことをいう、そうなのです。下から上に向けられる力が、violenceの本質であると理解しました。violenceの関連語である、violate=(ルール、規範、法律に)違反する、が現わしているように、violenceは、公的には制限を加えられる行為対象ではあるものの、道徳規範的には許容される可能性もある概念であり、絶対的な悪とは言えないと思うのです。因みに、支配者階級が被支配者階級に向けて奮う物理的行使は、force(強制)という単語が充てられます。現代においても、罪悪感を感じさせることばではありません。

だとすると....
「いかなる理由であれ、暴力は絶対に許されない!」
と叫ぶ人は、無意識的にかなり危険なニュアンスを含むことを言っていることにならないでしょうか。被支配者階級に属する劣った奴が、支配階級の優れた人間に対して歯向かうことは絶対に許されない、駄目な奴はおとなしく黙ってろ! を肯定するような意見のように思えてしまうのです。それこそ、優生思想的な主張のようになってしまいます。

上記の解釈は、私がかなり曲解しているきらいはあります。ただ、「暴力」の語源を突き詰めると、普段虐げられ、馬鹿にされていると感じている人が、頭ではわかっていてもつい…… と暴力的行為に訴えてしまう理由が見えてくるような気がしないでしょうか。

ジャッキー・チェンが語っていたことば

私は、留学して数年経っても英語がちっとも流暢に話せなかったので(今もダメですが)、あまり英語が堪能なようには見えなかったジャッキー・チェンの話すレベルの英語をマスターしようとベンチマークにしようと、動画や映画をよく観ていました。彼があるインタビューで、「あなたの映画は暴力的だと言われますが…」という質問に対し、

I hate violence. I like action.
ジャッキー・チェン

と語っているのを観て、感銘を受けたことを覚えています。しかし、本日の記事の文脈に置き換えて理解すると、違った印象になります。意地悪く解釈すると、

僕は、暴力による反体制活動は嫌いだ。虚構のお芝居の中でヒーローを演じるのが好きなんだ。(アクションスターでありたいんだ)

という風にも読めます。セレブとして遇されること、多額の出演フィーを貰うこと、は拒否せず、自分の身の丈の範囲でのチャリティ行為などで自らの責任を果たそうとしているように見えます。

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