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「無駄遣い」に救われていた頃

私には、趣味を聞かれた時に、不遜にも「無駄遣いです」と答えていた時期がありました。今日書く記事は、その頃の思い出話です。


お金の無駄遣いが嫌い

私は、お金については無駄遣いをするのが嫌いです。お金を使うことに対してすら、強い罪悪感と警戒心があります。自分の納得出来ないことや、注意すれば避けられたミスや、無知によって、手持ちのお金が減ってしまうことについて、耐えられない性分です。後にその出費が「無駄遣い」だったと気付いた場合には、激しい自責の念にかられます。おそらく、生来の貧乏性なのでしょう。小金持ちにはなれても、大金持ちにはなれないタイプだろう、と今では諦めています。

小学生の頃からコツコツと貯金をし、貯金箱の重さや貯金通帳の数字を確認しては安心するようなせこいタイプの人間でした。今も500円玉、100円玉貯金をせっせと続けていて、保有する全金融資産も定期的に確認しておかないと、気持ちが落ち着きません。典型的な小市民、銭ゲバなのかもしれません。さすがに家族や他人に、私のスタイルを強要したりはしませんが、自分自身はお金に対して常にシビアに接しています。

自我の危機

30歳前後の頃の私は、心から充実しているとはいえない環境に身を置いていて、心が荒んでいるというか、代り映えのしない日常生活の繰り返しに退屈していました。世の中を斜に構えて見て、目先の仕事にも全力で取り組めず、人間としても嫌な気配を漂わせていました。

社会人6〜7年目となり、サラリーマン社会の作法もある程度は覚えたせいか、厭きが来ていました。部署異動によって、業務内容が入社以来取り組んできた海外営業から、希望していなかった国内営業へと移ったことで、イマイチやり甲斐を持てず、中弛みの状況になっていたのだと思います。

私生活でも、その頃の私には彼女はいないし、養うべき家族もいません。かといって、独身貴族を謳歌できる程の経済的余裕もありません。『このまま歳取っていくのは虚しいなあ……』『自分は一体何の為に働いているんだろう……』と先々に明るい展望が持てず、悶々と過ごしていました。今ならば笑って自虐ネタとして話せますが、当時はちょっとした自我の危機に陥っていたと思います。

あの時「無駄遣い」で救われていた

「無駄遣い」はそんな冴えない現状を打破するために、意識的に取り組んでみた行動でした。無意識ではなく、意識的に時間・体力・お金を「無駄遣い」するのです。

精神状態を辛うじて安定に保つ為に、休日になると

● 心底好きではないジャンルの本やCDでもあえて買う
● まだ使えるオーディオセットを新調する
● 知らない街に用もなく出向く
● 街中をひたすら歩く
●   部屋に篭って映画をひたすら観る

といった行動を繰り返し、無駄なことをする自分を積極的に赦すことをしてみました。お金だけでなく、体力や時間さえも無駄に使っていました。

人生にはムリ・ムダ・ムラが必要

そういう時期を経て、今はお金の「無駄遣い」からは足を洗いました。「無駄遣い」で精神のバランスを維持する実験は、もう必要ありません。ただ、あの頃「無駄遣い」への免疫ができたのは、長い目で見れば良い実験だったと思っています。

生きる目標を見失って、直線的に進めない時に、合理的で効率重視一辺倒の賢い生き方を続けようとすると、益々しんどくなります。私の場合は、「無駄遣い」の中に、人生のスランプを脱する大事なヒントが隠れていることが発見できました。

身を以て体験をしたことで、「人生にはムリ・ムダ・ムラが必要」というのは、私の現在の価値観の基礎を構成するものになっています。少なくとも、冴えなかったあの時期の時間・体力・お金の「無駄遣い」によって救われたので、今の私があると思っています。

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