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『日本人の精神と資本主義の倫理』を読む

昨夜の時点では、アクティブな一日にすると意気込んでいましたが、ここ数週間の疲れや睡眠不足もあったのか、起きたら昼前になっていました。その現実に気持ちが萎えてしまい、そのまま家でダラダラ過ごすことに決めました。

ベットに寝転んだままamazon Prime videoで『トップガン・マーヴェリック』を観た後に手にしたのが、先週東京に出た際、神保町の古書街で購入したまま積ん読状態になっていた 波頭亮・茂木健一郎『日本人の精神と資本主義の倫理』(幻冬舎新書2007)です。読み始めると面白かったので、その読書感想文を記します。

気鋭の経営コンサルタントと脳科学者の対談本

本書の著者である、波頭亮氏の本職は経営コンサルタント、茂木健一郎氏は脳科学者です。両者ともメディアに露出するようになってから長くなりますが、1957年生まれの波頭氏が、1962年生まれの茂木氏の5歳上です。茂木氏の方が年上かと思っていたので、意外に思いました。

この対談は2007年(2006年かも)に行われており、丁度その当時の日本を包んでいた空気感が対談内容にも色濃く反映されているように感じて、興味深かったです。当時は、ホリエモンこと堀江貴文氏が新進のIT企業ライブドアを率いて、メディアを賑わわせていた頃であり、堀江氏をはじめとする新進企業を率いる経営者の『ノーブレス・オブリージュ』の欠如したかのような言動や態度に否定的な波頭氏と、その溢れ出るバイタリティを評価して比較的好意的な茂木氏という意見の相違にも中々に興味深いものがありました。

日本のエリート層への批判

タイトルから伺われるように、議論はマックス・ウェーバーの名著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で描かれた問題意識を下敷きにしているのでしょう。両人の主張は、日本特有の後進性を鋭く指摘し、「それに対して欧米では……」的な論調に落ち着く傾向が顕著です。価値観的に、西洋思想により優位性、親近感を置いていることは伺えます。もっとも、両人ともその点はよく自覚していて、単純な欧米礼賛、日本卑下を目的としたものではない、ということは、主張の端々に再三注記されています。また、最近の両氏の言調はこの頃とは微妙に変化してきているように感じるので、それも面白いところです。

本書の趣旨は、日本のエリート(彼らの関心で言えば「プロフェッショナル」かも)とはどうあるべきか、ということのような気がします。お二人に共通しているのは、根底に『ここ日本では、見識も人格も卓越した(自分たちのような……)優秀なエリート層が、愚かな大衆層に足を引っ張られて、十分な義務と責務を果たせていない』という考えのようです。

特に波頭氏は、御自身が弱者と見做している人々に寄り沿う発言が目立つものの、御自身の拠って立つ位置はそこではない、私はそんな愚かな大衆には堕さない、という立場を堅持している気がします。経済至上主義的な社会運営に否定的な意見、メインの価値観とは対立する有力な軸の無さ、文化の多様性の欠如の指摘、などには共感する部分も少なくないものの、基本的には大衆(的な知恵)を信じていないのだろうな、という点を強く感じました。大衆の庇護者・擁護者ではあるが、代弁者や仲間ではない、という立ち位置をはっきりさせながら発言されているのは、清々しい態度だと思います。


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