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人生の頂点は常に今

本日は、自分の生きる指針として採用しようと考えている『人生の頂点は常に今』という教えについて、頭の中から棚卸しをして言語化してみたい、と思います。


時は流れない。それは積み重なる。

私は、1990年代前半のサントリーウイスキー・クレスト12年のCMで使われていた『時は流れない、それは積み重なる』というキャッチコピー(サントリーテーゼとも言うらしい)がお気に入りで、これまでもしばしば引用してきました。記事のタイトルにしたこともあります。

私は、このことばを「自分の経験する全てが人生の糧になる」という意味だと解釈しています。そして、過去に自分の発した言動や採った行動は、それらが自分にとって消してしまいたい黒歴史であったとしても、絶対に逃れられないものであり、それ故に全ての行動と言動に責任を伴うという緊張感を持って生きねばならない、という教訓を引き出しました。

とはいえ実際には、そんなカッコイイ生き方が常にできている訳ではなく、時に責任逃れのような発言をしたり、損得を優先した作為的/不作為的な態度をとったり、自分に都合の良い嘘をついたり、事実を都合良く歪曲してイメージ操作しようとしたり、緊張感を欠いた時間を過ごしてしまったりしてしまいます。そんな姑息な振る舞いをしてしまったと自覚した時には、良心の呵責に苛まれます。

いずれにせよ、そうして幾層にも積み重なった過去が、現在の自分なのだ、と自覚しています。

今この瞬間の自分が世の中から審判を受ける

従って、「今この瞬間の私が、私という人間の全て」という潔い覚悟を常に持っていようと心掛けています。だらしない生活を送る情けない自分も、立派な弁を述べ立てる自分も、家族の行く先を気にかける自分も、気に入らない相手に高慢な態度を取る自分も、どうにも人望が無い自分も、全ては持って生まれた資質とこれまでに積み重ねた自分の振る舞いからの帰結なのだと思います。積み上げた全人格に対し、世間からの審判は下るのでしょう。

厳しい現実だな、と思う反面、現在の状況を少しでも改善したいという気持ちがあるのであれば、今この瞬間から変化していくことは可能である、という希望もあります。目標を意識して地道に取り組めば、誰もが驚く程の劇的な変化は無理でも、親しい人が気付いてくれるくらいの小さな変貌くらいは可能かもしれません。

頂点から見える景色は常に変わる

「今、この瞬間が頂点」ということは、その時点で最も見晴らしのいい場所に立っているということになります。現在が決して望んだような素晴らしい光景ではないかもしれませんが、将来はどう変化するのかはわかりません。希望的観測に頼ることを私は好みませんが、完全に絶望して目を閉ざしてしまっていては、暗闇の中から永遠に脱け出せず、堕ちていくばかりになります。このままずっと見つめていたいと感じる光景も、目を伏せて一刻も早く立ち去りたい光景にも出会うでしょう。目にする光景の変化も楽しめるくらいの余力を残しておきたいものです。

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