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『失われた30年』をどう捉えるか

本日のnoteは、日本経済の『失われた30年』について私見をまとめます。

きっかけはYouTube大学の動画

きっかけは、『中田敦彦YouTube大学』の半沢直樹の解説です。中田さんは動画の最後で人気の理由について考察を披露します。

中田さんの『失われた30年』の見立ては面白い。国際社会での日本の経済的地位低下という観点ではその通りでしょう。

ドラマとしての演出やストーリーが抜群に面白いことを横に置くと、『半沢直樹』は、旧世代の香りがプンプンするオッサンたちが企業内を舞台に私的な権力闘争を繰り広げるドラマです。

このドラマが大ヒットする背景に、日本があらゆる場面で負け続けているという屈折したストレス、世界の最先端の潮流からじわじわと置き去りにされていっているという焦りが影響している、という指摘は鋭いと思います。

『失われた30年』は結果

私は、バブル経済崩壊直後に就職し、日本の『失われた30年』をオンタイムで歩んできた当事者です。昭和の価値観を体現し、オールドエコノミーを象徴する鉄鋼会社の会社員として過ごしました。一企業戦士として国際ビジネスの一翼を担った、という矜持はあります。ただ、今の日本の状況を『失われた30年』とするなら、私も組織の歯車として現在の活気がなく、閉塞的な状況を招く原因を作った加害者の一人です。

この30年、日本の経済成長率は鈍化したままで、先見性不足から新興産業への転換が遅れたことは否めません。それでもこの30年間、日本企業の製品で国際優位を保っているものは少なくありませんでした。そのお陰で、面白い仕事をする経験もさせて貰えました。日本企業や日本製品が相対的に強かった時代に働けた私は、幸せな会社員だったと思います。

日本企業の凋落は、長期間に渡ってゆっくりと進行し、2010年代に目に見える形で顕著になった、トレンドから遅れを取っているのに危機感が乏しかった、という評価はおそらく正しいでしょう。ただこの間、全ての経済人が、努力を放棄して浮かれていた訳ではありません。むしろ逆で、それぞれの持ち場で危機感を持って、生真面目に仕事をこなしてきた人が殆どでしょう。その生真面目さ、愚直さが、仇になった気がします。

クリステンセン教授の『イノベーションのジレンマ』そのままに、環境や現実に対処しようと、その時点の合理的判断を続けた結果が『失われた30年』だったと思っています。既存産業にまだ体力があって安泰に見えたので、新興産業へ人材も資金も回らなかったのだろうと推測します。

『失われた30年』は悪か?

日本の『失われた30年』で、私個人の生活に悪影響を及ぼしたかと言われると、そんなことはありません。むしろ逆です。それ以前の、私が10代から20代前半、日本経済が成長基調を保っていた頃の方が、会社組織の中では遥かに不幸や不便や理不尽や不合理が横行していたと断言できます。

● 企業活動が生み出す環境問題は遥かに深刻でした。光化学スモッグ、騒音、水質汚染など生活する中で不快な現象は多岐に亘っていました。
● 優秀で屈強な企業戦士を生み出す為の受験戦争が正当化され、価値観は今以上に画一的でした。個人の尊厳が無視される傾向も強かったのです。
● サービス残業、仕事優先、理不尽な修業は当たり前の価値観でした。

軽視されがちですが、企業戦士の過重労働は、『世界第2位の経済大国』という地位に押し上げた原動力の一端だったと思うのです。私が20代の頃に費やした労働時間に対して支払われなかった残業代は、2~3千万円は下らないでしょう。でも、当時の私に苛烈に働いているという意識は希薄でした。

労働過重による社員の自殺や過労死は、ニュースにならなかっただけで無数にありました。日本企業が安価に社員をこき使えなくなったのも国際競争力低下の一因です。雇用者の労働条件の改善は、国際競争力を犠牲にするだけの価値があると個人的には思いますが……

外国の実体《私見》

今世界で我が世の春を謳歌しているのは、IT産業のプラットホームを押さえる企業であり、GAFA(米国系)やBAT(中国系)です。この新興分野で日本企業は最早太刀打ち出来ず、今後も彼らの創り出したサービスを利用するユーザーの立場に甘んじざるを得ないでしょう。

では、日本よりも経済規模が大きい米国や中国に生まれて育つことが、人間として幸せなのかというと私は甚だ疑問です。まずもって、米国も中国も日本とは人口スケールの違う国だという認識は必要です。はなから事情が違うのです。

米国内には、GAFAやウォールストリートとは無縁の「置き去りにされている人」が多数派です。でなければ、トランプが大統領にはなれないでしょう。中国では日本人が当然のように享受している自由と人権について、制限を受けることを受け容れざるを得ません。米国も中国も個人間競争は激烈です。競争に負けて社会的弱者になった人へのケアも日本ほど手厚くありません。

シンガポールや香港は都市国家なので、豊かさを日本平均と比較するのは無理があります。東南アジアの国々も、成長が目覚ましいのは国の中のほんの一部です。マレーシアならばクアラルンプール、インドネシアならばジャカルタ、タイならばバンコクという首都くらいです。地方の中核都市を除けば、ジャングルや農村地帯は基本的に貧困地域です。

日本人駐在員が多く住むタイのバンコク・スクンビット地区は、東京の青山や赤坂に相当するブランド力のあるエリアですが、これがバンコクの実体だと思ったら大間違いです。日本の平均的な街以上に豊かで快適なエリアがあるのは事実ですが、その陰には幻滅するような貧富の格差もあります。

日本は、卓越した頭脳と行動力を兼ね備えた才人や上を目指して壮大な挑戦をしたい野心家にとっては、陰湿な「世間」が立ちはだかる窮屈な国です。ただ、凡庸で社会性のある人が折り合いをつけて程々に生きるには、こんなに快適で居心地のよい国はない、という実感もあります。

以上が、日本の国際社会での凋落に心を痛めながらも、日本の『やさしさ』『恵まれている感』を享受している私の雑感です。

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