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『鹿を指して馬という』の逸話から考えたこと

本日のnoteは、『馬鹿』の起源ともされる中国の逸話に思うことです。

小沢一郎氏のツイート

昨年、検察庁法改正案の強行採決に反対して、自民党の泉田裕彦衆院議員(元・新潟県知事)が同案を審議する衆議院内閣委員会を去ることになりました。これを受けて衆議院議員の小沢一郎氏が、中国の歴史書『史記』の一説にある『鹿を指して馬という』の逸話を呟いています。

宰相趙高『陛下、今日は珍しい馬を連れてきました』皇帝「これは鹿ではないか」趙高『馬であろう?』ある家臣『馬です』ある家臣『鹿です』。鹿と言った家臣は皆殺され、秦はやがて滅んだ。史記にある馬鹿の語源である。
ー 小沢一郎 Twitter on 2020/5/14

趙高(ちょうこう)は、秦時代の宦官・政治家で、『史上最悪の悪臣』とも言われる人物です。始皇帝の晩年に寵愛・重用され、末子・胡亥(こがい)の御守役に就きます。始皇帝の死後、丞相(じょうしょう 君主を補佐する最高位の官吏)の李斯(りし)らと謀略を諮って始皇帝の遺言を覆し、長子・扶蘇(ふそ)を廃して胡亥を後継皇帝に擁立します。胡亥を傀儡化し、李斯を失脚させて謀殺し、自ら丞相の地位に就きます。

「鹿」と正しい答えをした重臣は、趙高によって後に全員処刑されたことから、「馬鹿正直」「正直者は馬鹿を見る」という教訓を含んでいるともされます。

小沢一郎氏は、権力者への忖度で真っ当な異論を述べた人間を排除する自民党の狭量な体質を批判するのに援用したかったのでしょう。検察庁法改正法案は当時話題になっていて、時流に乗っかった感もあります。

もしもその場面に立ち会った重臣の一人ならば…

趙高は、その後も反対者の粛清をどんどん進め、主君の胡亥をも廃して秦の帝位につこうとしたものの、秦の群臣は趙高に従いませんでした。最終的に趙高は、胡亥の後継皇帝で人望の厚い子嬰(しえい)らによって抹殺され、一族も皆殺しにされています。その後、秦は劉邦軍に攻められ、滅亡します。

私は、この逸話の中で「鹿」と答えて災難を免れた重臣の全員が、趙高を支持していた訳ではなかったと想像します。機転の利く賢臣であれば、

● 好むと好まざるにかかわらず、秦の国を包む空気感に敏感である
● 今権力を握っている人物が誰で、その人物がどのような価値観の持ち主かを把握している
● これは踏み絵を踏まされている状況だと咄嗟に悟れる
● ここでどう対処するかが適当かのリスクマネジメントを考えられる

筈なので、意を曲げて「鹿」と答えたのではないか、と推測するのです。不利な場面では「生き延びる」を最優先に考え、ここであえてリスクを取るべきではない、と状況判断すると思うのです。

自身の野心を満たすために平気で賢臣・忠臣を粛清し、恐怖支配を確立している歪んだ権力者は実在します。「悪貨は良貨を駆逐する」状態が正当化されているなら、世間一般的には正しくとも、権力者には都合の悪い答えをすれば、自身が葬られるリスクがある… と覚悟する必要があります。

誰かが、後に「こんな社会は良くない」と声を挙げてくれるかもしれないし、くれないかもしれない。自分の命を賭けて信念を貫く価値があるかどうかの判断です。泉田議員は政治生命を賭けて行動したと思うし、小沢議員は利用目的があってツイートしたのだと思います。

正論は慎重に打ち出す

「正論」や「普遍的価値」は、過大評価しない方がいいと思っています。「正しい」ことが行われていない状況を見つけて、健全な疑問と義憤を持つことは大切ですが、表面的な理解だけで、戦略もなく感情的に意を唱えるのは、時として自分の立場を危険に晒します。

なぜ、理不尽で、合理的ではないように見えることが長年温存されているのか… 批判を受けることがわかっている不公正な施策がゴリ押しで通るのか… 上っ面を眺めただけでは理解ができない、そうならざるを得ない決定的理由があると思うのです。

おかしな事態をあるべき姿に引き戻す変化を叫ぶ場合、おかしな点を生じさせている理由を理解し尽くした上で、仲間を集め、打ち出し方を徹底的に考えてから訴えていくべきです。変化を起こすのは、そういう地道で泥臭い作業の積み重ねでしかないと思います。



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