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常に何かを考えてはいる

本日は、『考える』をテーマで書いてみます。特に意識せずに、日常生活で頻繁に使っていることばですが、考えることの目的や、意味や、方法や、本質を直視せずに、安易に使ってしまっている気がするので、自分への注意喚起としてこの記事を残します。

2024/1/27の日記

気分転換にプチ旅に出ています。これから軽く飲んで、帰ります。1月最後の週末を楽しみます。

考えているが、考えられていない

経験上、考える作業は相当に疲れます。そして、ずっと真剣に考えていると、体力をガッツリと奪われ、神経もキリキリとすり減らします。その苦痛に耐えかねて、安易な結論に飛び付きがちです。考えてよい結論を導き出すには、過去の経験が助けにも邪魔にもなりますが、一つ言えることは、かなりの体力が要るということです。加えて、神経のタフさも要ります。

なので、大切な決断で致命的な誤りを犯さないように、普段は考える体力と精神力を極力セーブしながら暮らす習慣が出来ています。ただ、余りに深く考えることを避けてサボっていると、考えているフリをしているだけ、の無駄な時間が増えてしまいます。「考えているが、考えられていない」という状態です。よくない兆候です。

考えることを強制する

毎日決まった時間、強制的に考える習慣を持った方がいい、という気がしています。誰にも相談せずに集中して考えたことは、たとえ間違った結論に到達しても、考えの軌跡が残っているので、後から検証したり、修正案を捻り出したりするのに便利です。

考えることを習慣化するには、気が向いたらでは駄目で、自発的にはなかなか難しいので、強制ルールを定めておくのが良いことがわかっています。私の場合はこのnote執筆(という程、高尚なものではないですが)ということになります。

記録することのメリット

noteを毎日書くメリットは、記録が残ることです。いいテーマが思い浮かばず、"送りバント"と呼んでいる駄文を書き散らかすことも多いですが、記録に残っていれば、後で見返して、糧にも出来ます。記憶や熱量が微かに残っている場合もあれば、全く覚えていないこともありますが、考えの軌跡を辿れるのはいいなあ、と思っています。

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