気持ちを沈めさせるもの
楽しかった三連休も瞬く間に過ぎ去り、松本へと走る高速バスの座席に座る人になっています。窓の外を眺めていると、この三日間の家族との時間を思い出して、寂しさに気持ちが沈んできます。ただ、この気持ちの沈みは、日々の生活を維持するために大切なものだとも自覚しています。今日は、「気持ちを沈めさせるもの」をそのままテーマにして、いろいろ考察してみます。
気持ちの浮き沈みが必要
私は、常に感情が安定していることを「善」であると長らく考えてきました。しかし最近になって、どうやらその考えは間違っている、感情が簡単に動かないのは人間性が劣化している証拠、ていうように思えてきました。喜怒哀楽が内面から自然に表出してこないのは、何がしか欠落が起こっているのではないか、と思うのです。
喜怒哀楽の感情を、そのまま爆発させることが正しいとは、微塵も考えていません。TPOを意識した適切な振る舞いはあってしかるべきですし、適切に制御すべき術や護身の為の慎みは身に付けておくべきでしょう。問題は、浮かび上がってくる様々な感情を、抑圧してしまうこと、無視してしまうこと、無自覚に流してしまうこと、に潜んでいるように思います。特に負の感情については、直視して持ち続けておくべきものと、都度向き合って洗い流してしまうべきものとのメリハリを大切にすべきと思います。
気持ちの浮き沈みは、他人に多大な迷惑をかけない範囲であれば、必要不可欠なものであり、エネルギーを生み出す源として大切に育むべきものかもしれません。「不動」には、発展や変化が望めません。VUCAの時代を踏まえると、感情の動きが慌ただしいくらいの方がバランスが取れているように感じます。
沈む感覚
私には、気持ちが沈んでいて、猜疑心や反省の念が強い時の方が対外的な運勢は良くなる、という経験知があります。塞ぎ気味の方が慎重に行動し、節度が保たれるからです。調子に乗り易い性格ゆえ、上機嫌で物事が進んでいる時ほど「好事魔多し」で、軽率に振る舞って失言や愚行を行なってしまう危険を孕みます。
今回の三連休でも、冷静に振り返ると恥ずかしい言動や振る舞いが幾つかあり、その記憶が気持ちの沈みに繋がっています。その場面を思い出すと情け無くなります。簡単に対策が浮かぶので、「あぁ、愚かだったなぁ」とか「配慮が足りなかったなぁ」とか色々思いが巡ります。
もっとも、沈んでいる状態が長く続いていると、感情暴発リスクも抱え続けることとなり、自分が思ってもいなかったことを言ったり、したりするリスクが高まります。適度な発散は必要であり、軽く恥をかく経験が抑止になります。
移動はリセットのチャンス
移動中は、気分転換を図る絶好のチャンスと捉えています。車窓の景色と一緒に、負の感情も後へ流れていってくれるし、自分の乗ったバスを追い越していくクルマを呆然と見送ることで、溜めていたわだかまりがリリースされます。
私が移動が好きなのは、自分ひとりでは難しい感情のコントロールを手助けしてもらえるからなのかもしれません。物理的な距離の移動が、明日の活性化に繋がることを期待して、今夜は寝床に入ろうと思います。
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