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腕時計をしない生活

本日のテーマは『腕時計をしない生活』です。

腕時計をするのが当たり前だったが…

今、私は腕時計を一切しない生活をしています。

直接の理由は、結婚記念として妻から貰い、以来ずっと愛用し続けてきたお気に入りのオメガ・シーマスターが壊れてしまったことです。暫くはそれ以前に使っていた自動充電式のセイコー製の腕時計を代役で使っていたのですが、しばらくするとそれも動かなくなってしまいました。

不可抗力的な理由から腕時計をしなくなったのですが、よくよく考えると、もう時間を切り売りする会社員という身分ではなくなったので、腕時計をする理由がそもそもありません。現在の時間を確認する方法は、自宅の中に幾らでもありますし、外出した時も、常時持ち歩いているスマホや町中にある時計で確認すれば十分なのです。

先日オメガのサービスショップに行って、状態を確認してもらった所、中のギアの一部が破損している可能性が高く、完全オーバーホールするには高額の修理費用がかかります、と言われました。

望んで時間に追いまくられない生活を選択した私が、今さら時間に神経質になるのはナンセンスです。気の利いた腕時計をして、自分を過剰に演出するニーズもありません。これも運命なのだろうと思い、腕時計をする生活から完全に卒業しようと決めました。

左腕に腕時計のある安心感

私はファッションには興味がないものの、腕時計だけは昔から好きでした。

会社員になってからというもの、腕時計は日々の生活の必需品となりました。自分の左手首に腕時計があることにずっと安心感を感じていました。

20代の頃に、ある女性から「あなたにとって、腕時計とは?」という質問を受けたことがあります。私はちょっと考えてから「ないと不安になるもの」と答えました。

後にその質問をしてきた女性とはお付き合いすることになりました。彼女の種明かしによると、この質問は心理テストになっていて、腕時計はパートナーの象徴らしいのです。

つまり、「あなたにとって、パートナーをどういうものだと考えていますか?」という質問だったらしく、私の答えは彼女にとって満足すべきものだったようです。迂闊な答えをしなくてよかった、と心底思いました。

腕時計コレクターだった頃

この時の答えに嘘はないのですが、当時は「腕時計集めが趣味」というコレクターの顔も持っていました。だから、質問に対して「色々持ってる」という答えをしていたら、変な空気になっていたかもしれません。

シーマスターを手にするまでは、腕時計収集に凝っていて、愛用する腕時計を頻繁に交換していました。気に入ったデザインのものを見つけたり、何か自分にご褒美を上げたいと考えた機会には新しく買っていました。

最初に自分で選んで買ったのは、ムーンフェイスの金属製バンドの腕時計でした。ところが、しばらくするとはめていた手首の肌が真っ赤に腫れてしまったので、自分は金属アレルギーだと思い込み、別の革バンドのものを購入し直しました。

革バンドは汗を吸って変色したり、傷んだり、臭ったりします。こまめに交換する必要があるのが面倒でした。その後、体質が変わったのか、金属製のバンドでも問題なく対応できることがわかったので、以降は重みのある金属製バンドの時計を選ぶようになりました。

集めていたのは高価なブランド品ではなく、せいぜい30,000円くらいまでで買えるTIMEXやSwatchです。買った時計の幾つかは捨てずに家のどこかに保管しています。電池交換すれば、まだ動くものもあるでしょう。

時計マニアではないので、ブランドや機能は全然詳しくありません。高級時計は確かに素敵ですが、維持するコストもかかるので、コレクションする気はありません。腕時計選びでは、機能性よりも、フェイスの色や文字盤のデザイン、全体のボリューム感を重視していました。

でももう腕時計生活からは卒業です。さようなら、腕時計。これからの私は、”腕時計をしない生活”を目一杯愉しんでいきます。

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