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2020年最後の日の息子との電車旅

いよいよ2020年の大晦日です。昔から一年の終わりの大晦日は、心をワクワクさせながら迎えていました。思い返すと、これまでも何かの最後って不思議な高揚感がありました。きっと人生最後の日もこんな感覚で迎えるんだろうなあ、と思います。


2020年最後の日に

朝寝坊して遅く起きた私に、息子は電車に乗りに行こうと誘いかけてきました。息子との電車旅は毎週日曜日がルーチンですが、先日私の九州旅行中に一回スキップしてしまったので、その穴埋めが必要でした。

私が、①今日は一年最後の日だから、お出かけは横浜市内まで、②17:00には家に帰る、という提案をすると、息子はあっさり『オーケー』と答えます。二人で意気揚々と出かけました。

約束は守れないことが前提

私は、息子がこの手の約束を簡単に破る常習犯なのを知っています。そんなところまで父とよく似ているのです。

元々の私は、
● 約束の安請け合いはしない、
● 不本意でも一度請け負った約束は守る努力をするべき、
● 守れなかった約束は相手に素直に謝るべき、
を信条としてきました。幼い頃の「指切りげんまん」「噓つきは泥棒のはじまり」という刷り込みによって、約束をイージーにしてはいけない、した約束は簡単に破ってはいけない、という価値観を持っていました。これは、今でも大事な価値観だと思います。

ところが社会に出てからというもの、「すまん、忘れてた」「そんなんあったっけ」「そんなつもりではなかった」で済ませようとする無責任で理不尽な現場に何度も立ち会う経験をしてきました。

そういう機会に何度も遭遇しているうちに感覚が麻痺してしまい、同じような誠意のない言動や行動をとるようになってしまいました。正直者が馬鹿を見る場面に度々出くわす内に、自分を守る為の処世術、対人関係で無駄に波風を立てない方策として、『約束の厳守は絶対ではない』という価値観の更新が行われました。本当に恥ずべき、良くない変化だと思います。こういう変化を、都合良く"成熟"や"老練"ということばで糊塗したくはありません。

こんなことを書くと、Markover50は信用のできない人だと思われることはわかっています。しかし…… 私の経験上、「自分は公明正大だ」とか「嘘をよくない」っていう人ほど、自分の旗色が悪くなると「そんなつもりではなかった」「そんなことは言っていない」と真顔で誤魔化すことが驚くほど多いです。何度丸めこまれ、裏切られてきたことか……

息子との乗り鉄の時間

息子は、最初に横浜駅からみなとみらい線に乗って、元町・中華街駅まで行くのはOKという程度の認識だったのでしょう。結局私との約束は守られることはなく、息子のペースに振り回される結果になりました。まあ、17:00までに家へ帰ってくるという約束は守ってくれたのでよしとします。

最近の息子は、単に電車に乗るだけで満足する「乗り鉄」ではありません。車両ドアの開閉、駅の看板の字体や駅のアナウンス、エレベータやエスカレーターの動きまで納得いくまで調べないと気が済まない、「総合的なテツ」への道を着実に歩んでいます。駅で降りるとホームの隅々まで歩かされるので、渋谷駅のような巨大ターミナルだと、一苦労です。

いよいよ変化の多かった2020年も終わり。2021年を新たな気持ちで迎える準備を始めます。幸多き一年となりますように……

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