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春について

このところ記事のテーマ選定に苦労しています。旅の記録や読書感想文のような定番ネタがある時はいいのですが、特段のイベントがない場合は、ネタ切れ気味です。良く言えば平穏な日常が続いているとも言えるし、見方を帰ればインプットもアウトプットも停滞している由々しき状態とも言えます。本日は、着地点を定めず、『春』をテーマに書き始めてみようと思います。

四季の歌より

昔より歌い継がれてきた『四季の歌』(作詞・作曲:荒木とよひさ)という名曲があります。久々にその歌詞を思い出しました。

春を愛する人は 心清き人
すみれの花のような 僕の友だち
夏を愛する人は 心強き人
岩を砕く波のような 僕の父親
秋を愛する人は 心深き人
愛を語るハイネのような 僕の恋人
冬を愛する人は 心広き人
根雪を溶かす大地のような 僕の母親

四季の歌

春夏秋冬のイメージを見事に表現しているようにも思いますし、微妙な違いを感じたりもします。私は、月並みではありますが、春に対して「再生」「再始動」「訣別」といった、期待と不安が混在した不安定なイメージを抱きます。慣れ親しんだ大事な何かをかなぐり捨て、新たな場所に飛び込み、何かしらの異物を迎え入れねばならない季節が春なのだと感じます。秋にも多少そういうニュアンスがあるものの、春の不安感の方がスケールが大きい気がしています。

足早に過ぎ去っていく季節

寒くて厳しい冬も後半になると、春を待望する気持ちが強くなります。私は冬が嫌いではありませんが、今年はいつもより春が早く来て欲しいという気持ちが強かったです。

切実に待ち侘びた季節であるにもかかわらず、意外とあっさり過ぎていくのが春という季節の特徴だったりします。自分が身を置く環境が変わった時は、不安と緊張に支配されて季節を楽しむ余裕がないし、変化がない時には日常のフワフワした空気に乗れず、退屈を感じて、淡々と時間が過ぎていきます。

訪れる前には、その瞬間を待ち焦がれて楽しい時を妄想し、過ぎ去った後には、大事なことを置き忘れたことに気付く(Mr.Childrenの歌にそんな歌詞があったような...)のが春なのかもしれません。

まだ春を楽しめる

まだ春を楽しむチャンスは残っています。今年は安曇野の春の風景を自転車に乗って楽しみたいなあ、と思っています。松本の薄川沿いの桜もまだ完全には舞い散っていないと思うので、今週末は散歩に出掛けようと思います。

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