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過去を振り返る行為は無駄ではない

本日は、過去を振り返ることについて考えてみます。

将来は現在の過ごし方で決まる

「将来は現在の過ごし方で決まる」という真っ当な教えがあります。真理だと思います。「過去に囚われず、現在を全力で生きる」というアドラー心理学的なアプローチがとても有効だということは凄くよくわかります。

過去と現在の延長線上に想像される未来に絶望し、その導かれる先を修正したいのであれば、現在の環境を変えるために行動することが必要、という論理には説得力があります。

この考えに共感して、すんなりとスイッチが入って走りはじめられる人ならば、何の問題もありません。おそらくは社会的成功者に近い人でしょう。

過去を全否定はしたくない

人生前半戦を歩き終え、折り返して後半戦に入った今、一息ついて「頑張らない時間」を確保したいと考えています。私は、過去を懐かしく思い返す時間も疎かにしたくないと思っています。

私は、より良い将来が描けない時、進んでいく方向に絶対の自信が持てない時ほど、他人の知恵にすがりたい思いが強くなります。
✔ 過去の事例に学ぶ、
✔ 賢人の経験に学ぶ、
✔ 充実感を感じていた頃の自分の気持ちや姿勢を思い出して学ぶ、
そういう時間をとても大切に感じています。これに費やす時間と労力は、決して時間の浪費にはならないと思っています。

これまで生きてきて、極端に好いことも、極端に悪いことも、滅多には起こらないことを経験として知っています。その時点では最高だと感じた素晴らしい経験も、最低最悪だと感じた屈辱的な経験も、似たような経験を重ねたり、時間が経過したりすると、細部の記憶が曖昧になっていきます。「慣れ」によって、刺激が中和されていく機能が脳には備わっているようです。

日常は地味だから過去に輝いた記憶は消えない

強く衝撃を受け、一度は心に深く刻まれた特別な出来事ですら、記憶からはゆっくりと消えていきます。人生は、記憶にひっかからない地味な一日の方が遥かに多い。平凡な日々が集積して人生になるんだろうなあ、と最近は感じます。

noteを書くのも、確実に忘れ去られていくその時の自分の思考や行動を呼び起こす為の記録ツール -いわゆる、日記ー として活用したいという思惑があるからです。一日一日を慈しみながら生きるための助けにすることが出来ます。誰とも共有できない自分だけの平凡な人生を記録することに楽しみを感じています。

noteになんでもない一日の記憶をピン止めしておく。後に振り返って、過去に起こった出来事を再定義したり、その時の愚かな自分を分析したりすることは、見通しの立たない将来に挑む時に役立つと思っています。私は、心が右に左に、上に下にと揺れ易いので、不安を抑える為にも、過去を振り返る時間を頻繁に確保しています。

辛い体験を辛いままに定着させておくと、心の健康は蝕まれていきます。事実を歪曲し過ぎて甘やかしすぎると、現実を受け容れられなくなる怖さはあります。それでもネガティヴな感情の暴走を防ぐための対処方法として、「過去を振り返る」は大事にしておきたい習慣です。

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