『置き去りにされる人びと』を読む
本日のnoteは、村上龍『置き去りにされる人びとーすべての男は消耗品である〈Vol.7〉』の読書感想文です。
時代を代表する作家、村上龍
村上龍氏は、日本を代表する人気作家です。1976年の24歳の時に、デビュー作の『限りなく透明に近いブルー』で群像新人文学賞と芥川賞を受賞し、いきなり百万部を超える大ベストセラー作家の仲間入りをしました。
私は、高校3年生の春に『限りなく透明に近いブルー』に出会いました。可愛がってくれていた母方の祖父のお葬式に向かう電車の中で、一気に読了しました。セックスとドラッグの場面が何度もあり、ザラザラした読後感が残る小説でした。田舎の世間知らずの高校生には、かなり刺激が強いものだったのは間違いありません。最寄り駅から斎場に向かうまでの間、祖父がいなくなってしまった悲しみと小説から受けた衝撃とが重なり合って、変な気分に襲われながら歩いた記憶が今も残っています。
大学時代には、氏の多くの作品を読みました。代表作の一つ、『コインロッカー・ベイビーズ』も印象の強烈な問題作でした。長崎県佐世保市出身の氏の自伝的作品である『69 sixty nine』も好きでした。会社の上司に村上氏と高校の同級生だった方がいて、「あれはほぼ実話だ」と言われていました。
年齢とデビュー時期が近い村上春樹氏とは「W村上」と呼ばれ、1980年代は発表する小説が必ずヒットする売れっ子作家でした。小説の執筆活動以外にも映画を製作したり、テレビの冠番組を持ったり、幅広いジャンルに進出していきました。政治経済関連の論客としても知られ、今もマルチに活躍しています。
私は村上氏は、現代の日本を代表する小説家と捉えていますが、どうも御本人はそう思っていないようです。
随分と被害者意識が強いんだな、屈折しているな、と苦笑しました。
2001年~2003年の時代の空気を切り取ったエッセイ
本書は、2001年から2003年にかけて、自身が主宰し、金融・経済を中心に論議するメールマガジンJMMに投稿したエッセイから抜粋されたものです。『すべての男は消耗品である』シリーズの第7作目にあたります。
各エッセイにつけられているタイトルが秀逸で、思わず読みたくなるものばかりです。時事ネタとして、小泉内閣、イラク戦争、サッカー日韓ワールドカップがよく取り上げられていて、当時の空気感が伝わってきます。
容赦なく突き刺さる文章
約20年前に氏が指摘していた内容は、今も日本の課題として残り続けていると感じる箇所に何度も出くわしました。私は、村上氏の、苛立ちを含んだ、冷たくて、読者を突き放したような乾いた文体が昔から好きでした。問題の本質を自らの視座でズバリとナイフで抉り取る表現が鮮やかで、緊張感があります。その文体は、寡黙な殺し屋のような不気味さを感じます。
鋭い描写や意見は、時に私自身に突き付けられ、容赦なく突き刺さります。2002年に50歳だった村上氏はこう書いています。
全くもって同意で、私自身が今それを痛感しています。身につまされます。そんなつまらない人間でも、社会の底辺でしぶとく生きていくしかありません……
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