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『峠 最後のサムライ』を観る

本日は、先週から公開されている映画『峠 最後のサムライ』(2022)を観ての感想文です。

事前の期待が大き過ぎたかも‥

司馬遼太郎の名作『峠』が映画化がされることは、だいぶ以前から知っていました。原作の主人公、長岡藩家老・河井継之助は、非常に興味深い人物ですので、どのように描かれるのかが楽しみで、公開される前から、かなり期待して待っていた映画でした。

原作の『峠』の方は、若い頃に途中挫折して未読了なのですが、昨年の夏、青春18きっぷの旅で新潟県長岡市へ旅行した際に、河井継之助記念館を訪問しています。波瀾万丈の生涯は、ある程度頭に入っていました。

映画の時代設定は、河井の最晩年、大政奉還後に勃発した新政府軍と旧幕府勢力との北越戦争になっていました。確かに河井の人生のハイライトには違いないのですが、この複雑な人物を前半生の伏線抜きに約2時間で描き切るのはかなり難しい作業だろうと想像していました。その懸念は、的中していたように思います。

また、長岡での戦闘時の負傷がもとで41歳で病没している河井を、60代の名優・役所広司さんが演じるということで、『貫禄があり過ぎるのではないかなあ……』という一抹の不安がありました。役所さんの演技は、本当に素晴らしいと思うのですが、年齢的なミスマッチ感からくる違和感は、正直ありました。

率直に言って、私のこの映画に対する評価は微妙です。『シン・ウルトラマン』『トップガン マーヴェリック』と、このところ大満足する映画が続いていたので、そういう意味でも、やや失望感が残ってしまった映画でした。監督・脚本の小泉堯史氏は、『博士の愛した数式』『雨あがる』などの作品で知られる実力派ですが、全般的な演出や台詞に「?」と思うシーンが多かった気がします。

違和感の正体

冒頭、時代背景をナレーションで説明する部分から、違和感を感じました。東出昌大さん演じる徳川慶喜が、大政奉還を思わせるシーンで、「国民」ということばを使ったのも驚きでした。しかもこのシーン、後に展開されていくストーリーへの伏線として、効果的に機能している感じがしません。慶喜のひとり語りシーンがここに挿入される必然性はなかった気がします。

芳根京子さん演じる嬢の物語内の位置付けや登場するシーンも、何やら不自然な感じがしました。継之助の父役の田中泯さんが、話しながら盆栽の枝を切ったり(敢えて雑な感じに揃えさせているのか?)、竹藪の中で刀を振り下ろすシーンも謎でした。ところどころ、「このいい台詞で観客を唸らせてやろう」という感じが透けて見えてしまい、逆に感情移入するのが難しいと感じた場面が気になりました。

映画の前半、新政府軍との抗争に備えて教練中の長岡藩兵士の動きは統制が取れておらず、かなり弱っちい感じに見えるのは演出なのでしょうか? 新政府軍の方も、屈強そうには見えませんでしたが……

最初の方に違和感を抱く場面が続いたせいか、最後までしっくりこないままでした。エンドロール時には、『このシーンで終わりにするの?』と思いました。映像の美しさであるとか、カメラアングルとか、そういう部分に注目してみれば、また違った味わいもあったのかもしれません。

残念ですが‥

上から目線で甚だ申し訳ないとは思うのですが、個人的には高評価をつけられないです。僭越ながら、時代考証が雑ではないかと感じてしまいました。テレビで『大ヒット上映中!』というCMが流れているのも目にしましたが、映画評には辛めの評価も少なくありません。名のある俳優陣が多数出演しており、それぞれに見せ場を持たせる必要があったのか、演技させ過ぎてしまい、逆に全体がとっ散らかって、まとまったメッセージが強く残らなかったなあ、という印象があります。

河井継之助という人間の魅力についても、役所広司さんの演技力でカタチにはしたものの、充分には描ききれなかったのではないか? という辛口な感想が残りました。私は、河井の『最後の侍』と英雄視される人気は、新政府軍との戦いによるものであることは確かなものの、順風満帆ではなかった前半生に共感する人が多いからだと思っています。映画では、その面白い部分を丸ごとカットせざるを得ないので、人物像の魅せ方はかなり難しかったのだろうな、と想定しています。

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