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あの頃好きだった曲❸…『島唄』

本日のnote、『その頃好きだった曲』の第三回は、歌詞の裏に込められたもう一つの物語の意味を知ることで別の思いを抱きながら聴くようになったTHE BOOMの『島唄』です。

深い意味を知らずにカラオケで熱唱していた頃

この曲(オリジナル・バージョン)が大ヒットしていた1993年、私は社会人3年目の若手会社員でした。この曲に出会ったのは、取引先の人と仕事終わりに飲みに行き、二次会でカラオケに行った際です。

初めて聴いた時から、心の琴線に触れる素晴らしい楽曲だと思いました。しばらくは、この曲の歌詞に秘められている悲しく深いもう一つの物語には全く気付かず、ラブソングだと信じ込んで、熱唱していました。

当時、島唄=沖縄音楽というイメージでいたし、THE BOOMというバンドも沖縄出身だろうと勝手に信じ込んでいました。この曲を作った宮沢和史(山梨県甲府市出身)には、当時「沖縄の人間でない人間が、沖縄民謡の真似事をするなんてとんでもない」という批判もあったようです。

沖縄出身のアーティストには、安室奈美恵やスピードなど錚々たるスターがいます。しかしながら私は、沖縄出身ではないTHE BOOMのこの『島唄』こそ、沖縄音楽の認知度を高めた代表曲である、という印象を持っています。

1990年代に、BEGIN(石垣島出身)やBEGINの『涙そうそう』をヒットさせた夏川りみ(石垣島出身)の楽曲が全国区でヒットする市場を開拓できた背景には、『島唄』の影響が確実にあったと思っています。

沖縄について知らないことが多過ぎる

私は太平洋戦争の沖縄戦で起こった悲劇を、知識としては知っていても、心の奥深いところで感じ取れていません。沖縄県民の中には、今も本土に対し、「沖縄は本土決戦を引き延ばす為の捨て石にされた」という拭い難い不信感が残っていると言われます。その不信感は、これから先も完全に消えることはないでしょう。

改めてこの曲の解説を読み返すと、軽々しく扱えない思いを感じます。

● 宮沢氏が、1991年に沖縄県の「ひめゆり平和祈念資料館」を初めて訪れた際、元ひめゆり学徒隊の老婆から沖縄戦の悲劇の話を聞き、衝撃を受けて制作した。
● 表面的には男女のラブソングの体裁を取りつつ、実際は沖縄戦での悲劇と平和への希望が唄われている。
● 琉球音階(レとラを使わない)が用いられているが、サビ前の「地下壕で自決した」との意味が込められた部分は西洋音階が使われている。「彼らを自決させたのは日本(本土)であり、そう考えたら琉球音階はとても使えないと思った」(宮沢談)
● 『千代に』『八千代に』が、君が代の歌詞に対応している。

Wikipedia他から引用

歌われ続けて欲しい曲

この曲は海外でも人気があると言われます。非常に嬉しいことです。何度聴いても色褪せないし、私の心の中に宿している何かを突かれ、前向きな気持ちになるのがわかります。

宮沢氏は、沖縄出身ではない自分がこの曲を歌うことに批判的な意見があることに傷つくこともあったが、今は歌い続けなければならない、という決意をされているようです。私はその決断を強く支持します。

廃れることなく、時空を超えて、支持され続ける楽曲であって欲しいと思います。そして、沖縄戦の歴史も語り継がれて欲しいと思います。

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