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『疾風怒濤』を調べてみた

本日は、朝のWalkingをしている最中に、ふと頭に思い浮かんだ『疾風怒濤(しっぷうどとう)』ということばをググって調べた内容をノートします。

『疾風怒濤』とは?

疾風怒濤 (Sturm und Drang シュトゥルム−ウント−ドランク)
1. 激しく吹く風と、激しく打ち寄せる大波。ー 小学館デジタル大辞泉
2. 1770〜80年代のドイツにおこった文学運動。自然と個性の尊重をうたい、これを束縛するすべての因襲 ・不自然を排し、自然美の嘆賞、民謡への素朴な愛、人間的感情の本然の発露を求めた。若い時代のゲーテやシラーの作品にみられる傾向で、これを機にドイツ文学は国民的自覚をもち、自立するに至った。

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『疾風怒濤』の元ネタは、ドイツ語のSturm und Drang(嵐と衝動)です。ドイツの劇作家クリンガー(Friedrich Maximilian von Klinger 1752/2/17-1835/2/25)が、1776年に書いた同名の戯曲に由来するとされます。18世紀(1767-1785、1769-1786、1765-1795など諸説あり)の文学革新運動、あるいはその時期のドイツをさして、『疾風怒濤の時代』と呼ぶようです。

また、アメリカの心理学者、ホール(Granville Stanley Hall 1844/2/1-1924/4/24)は、青年期を『疾風怒濤の時代』と呼んでいます。

『疾風怒濤の時代』の代表作家、ゲーテ

『疾風怒濤の時代』を代表する人物に、ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe 1749/8/28-1832/3/22)がいます。今も世界中で読まれている『若きウェルテルの悩み』(1774)は、この時代の象徴的な小説だと言われています。

この小説は大ベストセラーとなり、青年士官時代のナポレオン(Napoléon Bonaparte 1769/8/15-1821/5/5)も熱心に愛読したと言われています。主人公の青年ウェルテルが、婚約者のいる女性シャルロッテとの叶わぬ恋に絶望して自殺する話です。当時、その悲劇的な結末を真似た若者の自殺事件が続出し、社会問題にもなったようです。

薄い本で、私も読書意欲に目覚めた駆け出しの頃に読んだ筈なのですが、物語の細部も当時の感想も全く覚えていません。

『疾風怒濤の時代』の文学革新運動とは?

フランス革命の端緒と言われるバスチーユ暴動は1789年7月14日に起こっています。ドイツに訪れた『疾風怒濤の時代』は、時代が大きく変転していく前夜ということになります。Wikipediaの解説では、

古典主義や啓蒙主義に異議を唱え、理性に対する感情の優越を主張し、後のロマン主義へとつながっていった。

とあっさり書かれています。この説明だけ読んでも、「なぜ?」という疑問は解消しません。私は、古典主義、啓蒙主義、ロマン主義のそれぞれについて、深い理解と素養がないので、全くイメージができません。

『疾風怒濤の時代』と呼ばれた当時、ドイツという国家はまだ成立していませんでした。(プロイセンによるドイツ統一は1871年)断続的に続いた三十年戦争(1618-1648)によって、ドイツ諸邦の国土は荒廃を極め、人心も疲弊しました。これまで支配階級に君臨した封建貴族が徐々に没落していく一方で、裕福な市民階級が台頭していきます。人々の価値観が大きく転換していく時期だったのだと思います。

調べていって知った意外な効果

『疾風怒濤』から始まった知の探究は、まだ不完全燃焼のままです。ゲーテが文学者・作家の枠にとどまらず、幅広い分野で実績を残している「地の巨人」だということを今回知りました。

ホールの心理学の方向にも広げられそうです。一つのことばをキーに、連鎖的に知識を深めていく訓練は悪くないと思います。短時間で表面をさらったに過ぎませんが、なかなか得るものの大きい時間でした。


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