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800回noteを書き続けて到達した場所

昨日アップしたnoteが私の投稿した丁度800本目の記事でした。

幸いにも私の人生はまだ続いていきそうなので、800回は単なる通過点に過ぎません。それでも、一日一本、毎日書いていった記事が積み上がっていくのは好きな感覚です。

私の書き残した800本の記事全てが多くの方に読まれた訳ではありません。自分で読み返しても、
● 冴えない内容だなあ‥
● つまらない内容だなあ‥
● 構成が甘いなあ‥
● 何が言いたいのかわからないなあ‥
というイマイチな記事は結構あります。

一方で、PV数やスキの数は少なくても、
○ あの時はこんなこと考えていたんだなあ……
○ あの日はこんな経験していたんだなあ……
○ この本、こんな風に読んだんだなあ……
○ 今はこう思わないけどなあ……
といった、狙い通りの効果を発揮している(飽く迄も私の基準での)お宝記事もあります。

自分で始めることを決めて、自分の時間と労力を使って、自分の意志で続けている習慣なので、これまでの歩みを冷静に受け止めつつ、次の展開も考えていこうと思います。

前進や成長が善で、停滞や後退や衰退は悪、という価値観に支配されると苦しさを感じてしまうものです。長く生きてくると過去が重くのしかかってきて、比較対象となる過去の経験も増えるので、「以前よかった時はこうだったのに、今は……」みたいな感覚が大きくなると、先行きに悲観的になってしまいます。それは、非常にバランスが悪い生き方です。

過去への傾きが強くなり、抜け出すのが億劫になる経験は何度もあります。それでも、安易に現状肯定せず、身を弁えず、予定調和の空気に無駄に抗いもがくのは私の長所でもあると考えるようにしています。

部屋を片付けていたら、アメリカ留学時代に提出した英文レポートのファイルが出てきました。眺めていると、結構難しい表現を的確な英文で書いているじゃないか、オレなかなか頑張ってるじゃないか、という気持ちになりました。過去のnoteを読み返すのも、「ちょっとイケてたオレ」を発見して、自己肯定を得たい気持ちがあるのかもしれません。

あの時、青臭い意見を吐いた自分、未消化の思考を無理矢理文字にした自分に再会できるのも、noteを書き続ける醍醐味の一つです。まだしばらくはこの習慣を続けていきます。将来訪れるであろう絶望に備えるのです。

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