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貨幣経済思考から脱け出せていない

昨日のnoteを書き終えた後で、自分自身の価値観は依然として貨幣経済時代のものであり、その思考から脱け出せていないなあ、と気づきましたので、掘り下げてみます。

【貨幣経済】と【信用経済】

1年半ほど前に読んだ堀江貴文 西野亮廣『バカと付き合うな』という本の中で、西野さんが「空気を読むバカ」の章で説明されている【貨幣経済】と【信用経済】の違いが簡潔で分かり易いので引用させて頂きます。

【貨幣経済】たくさんのお金を持っていれば、その分だけ人生の選択肢が増えて、その分だけ自由を獲得することができる。
【信用経済】たくさんの信用を持っていれば、その分だけ人生の選択肢が増えて、その分だけ自由を獲得することができる。なぜなら信用が換金しやすくなったから。(P159)  

この本及び西野亮廣『新世界』を読んで、【信用経済】についてクリアに解説された時には納得感があり、確かに今後は、信用を積んでいく人の幸福感が上がっていく社会になるなあと直感しました。

【貨幣経済】の価値観で生きている私

私はあの時、本を読み進めながら、ひとりで興奮して【信用経済】への対処を考え始めたつもりでいました。主流になっている【貨幣経済】の価値観を信じて行動してきた私自身の思考を揺さぶられた経験だったからです。

私は、お金=人生の選択肢を増やす手段 という考え方を強く信じていて、人生の選択肢を増やす為には多くのお金を手許に置いておきたい、という思いを強く持っています。既に十分なお金を持っている人は、嫌なことを避け、制約を受けずに自由そうに生きているように見えています。お金に余裕があるから、生活の心配がないから、目先のお金稼ぎに執着しなくて済むという状態は、私の理想です。これまでに蓄えたお金を信頼し、今の自由な時間、気分による生き方を買いたい、という発想から、完全には脱け出せません。

【信用経済】に耐えられる人の条件

【信用経済】が支配的になると、最先端で活躍できる人というのは、コアなファンを持っている人、多くの人に支持されている人、ということになりそうです。独自のキャラクターが確立していて、実績を出している人のもとには、名声もお金も人も集まりやすい社会になっているということなのでしょう。

普段の言動と行動が一致していて、実際に何らかの結果を出していること、常に何かに挑戦し続けていることが支持される条件です。そういう人は、世間の風潮に媚びず、大衆的な知名度はなくても、一部のマニア層から揺るぎなく支持されているので、その範囲内では強い影響力を発揮できます。

シンプルにお金を多く持っている人が有利な【貨幣経済】全盛よりも、よりシビアな時代に思えます。全人格競争ということです。

不倫騒動で沈む人と生き残る人の違いから

【信用経済】からはちょっと脱線しますが、連日有名人の不倫騒動が持ち上がっています。週刊文春の精力的な取材と懲罰的な報道によって、不倫関係を続けていることを暴かれた人は晒し者にされています。もはや不倫の糾弾は日常茶飯事で、珍しくも何ともありません。

そのような状況にあっても、異常に叩かれて培ってきた信用を木端微塵にされて仕事を干されてしまう人と大きな騒動にはならずにスルーされて許される人の違いは何だろう、どこに問題があるのだろう、と考えていました。

不倫のように道徳的嫌悪感を煽りやすい行為の場合、優等生的な立ち位置の人、世間常識的には真っ当なことをやってそうに見える人のスキャンダルほど、「言っていることとやっていることが違う」とばかり、叩かれ方が酷い印象です。中には、不倫行為そのものへの批判を通り越して、人格否定のような集団リンチを受ける人もいて、もう恐怖しかありません。

かたや、普段からアウトロー的なキャラや振る舞いが受け容れられている人は騒がれ方が甘いというか、大目に見て貰える余地が高く、批判の波をうまく切り抜けている印象です。

信用度の高い人が得をする社会というのは、狙った人間の信用を蹴落とそうとする行為が横行する物騒な社会でもありそうです。自らのキャラクター設定によって発生しそうなリスクまで注意深く管理する必要がある時代だと感じます。




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