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Markover 50と音楽

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Markover 50がこれまでに出会ってきた好きな曲、好きなアーティストの思い出をコラムにします。
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#日記

金曜日の随筆2024:Done with Mirrors

また、運命を動かしていく金曜日が巡って来ました。2024年のWK34、葉月の肆です。やっと一週間を凌ぎ切りました。8連休が明けた後の1週間は思いの外苦戦が続き、肉体が辛く感じました。腰、膝、足首、肘、肩、背中…… 全部痛んでいる感覚を抱えながら過ごしました。もう、若くはありません。 さて、本日は突然思いついたテーマ、『Done with Mirrors』というタイトルで気儘に書いていきます。 Done with Mirrors ≒手品でござい~『Done with Mir

あの頃好きだった曲⓲:Maybe Blue

昨日の毎日投稿も飛ばしてしまいました。素面でしたが、気が付くと0時を回っていました。昨夜は、中学時代の陸上競技部の顧問の先生、~”鬼の〇〇”と呼ばれていた~ 御一行が兵庫県から旅行でやって来られ、懇親会が安曇野市の先輩のお店で開催されました。私も呼んで頂き、中学卒業以来の先輩にも再会できました。会は楽しかったですが、クルマの運転があったので、私はノンアルビールのみで辛かったです。 さて、一夜明けた本日は、日記+あの頃好きだった曲シリーズの第十八弾、UNICORN(ユニコーン

あの頃好きだった曲:スイッチ625

今夜は、酒を飲んでいます。酔っぱらって前後不覚になる前に、今日の記事のプロローグだけを書きます。私の青春時代のロック・ヒーローは、デフ・レパード(Def Leppard)でした。好きなロックバンドは数あれど、結果的に40年以上の長い付き合いになっています。同じく私の心を捉え続けるシン・リジィ(Thin Lizzy)をも僅差で退けて、筆頭に挙げなければなりません。 彼らの軌跡を長く追いかけてきて、好きな曲、思い出深い曲だらけなのですが、本日はその中から2nd アルバム『ハイ・

あの頃好きだった曲⓮:『悲しみは雪のように』

今夜も楽しく酔っ払いです。という訳で、『あの頃好きだった曲』シリーズの第14回に、真打ちを登場させます。それは、浜田省吾『悲しみは雪のように』です。 私のカラオケ定番ソングでした……この曲は本当に好きで、誘われて行くカラオケで何か一曲歌わないといけない時には、ほぼほぼこの曲をチョイスしていました。あえて断言しますが、私のカラオケでの数少ない勝負曲です。学生時代を体育会で過ごした私にとって、青春の思い出とだぶる一曲です。 オリジナルは、浜田省吾『愛という名のもとに』オリジナ

あの頃好きだった曲⓭:『ほんの短い夏』

祭日(春分の日)の夜、久しぶりに、"あの頃好きだった曲シリーズ"を展開することにします。第13回は、伊勢正三『ほんの短い夏』(1993)です。私にとって、忘れられない曲の一つです。 テレビドラマの主題歌この曲は、日曜日の夜、JTがスポンサーをしていた一話完結のドラマ『泣きたい夜もある』(TBS系列23:00‐23:30 1993/4/4-9/26)のエンディングに流れる素敵な曲でした。当時の私は24〜25歳で、都会生活の機微や仕事の勘所が少しわかり始めた頃でした。社会人とし

好きな楽曲:ホワット・ア・フール・ビリーブス

本日は、朝から松本の市街地で一日ガッツリ勉強を積み、適量の酒を気持ち良く飲んでから、部屋へと帰ってきました。本日の記事は、好きな楽曲 ~守備範囲ではない1970年代の大ヒット曲~ 今も色褪せることのない名曲、ドゥービー・ブラザーズ Doobie Brothers「ホワット・ア・フール・ビリーブス What a Fool Believes」(1979)を語ろうと思います。 鬼才・マイケル・マクドナルドこの曲は、彼らの通算8枚目のアルバム『ミニット・バイ・ミニット Minute

あの頃好きだった曲⓬:明日があるさ

今週になって松本は一気に冷え込んで来ました。明日は、お世話になっている会社の臨時休業日なので、部屋で寛いでゆったりと晩酌しながら、秋(記憶的には晩秋)の風情を味わっています。 あの頃好きだった曲、十二回目の今回は、作詞:青島幸男、作曲・編曲:中村八大、歌唱:坂本九で1963年に発売された『明日があるさ』の、ウルフルズ、及びRe:Japanによるリバイバル版です。 心の支えにしていた曲2000年8月頃から、缶コーヒーGEORGIAのCM~ジョージアでいきましょう~で流れ始め

私の好きだった曲⑯:ヤング・アット・ハート

私の好きだった曲(1980年代洋楽しばり)の第16回目は、ザ・ブルーベルズ (The Bluebells)『ヤング・アット・ハート Young at Heart』です。 忘れ難いメロディー爽やかで牧歌的なメロディーが印象的なこの曲は、スコットランド出身のバンド、ザ・ブルーベルズの最大のヒット曲で、1984年に全英チャートの8位を記録しています。1993年には、フォルクスワーゲンのCMに使用されたことでリバリバルヒットし、全英No.1に輝いています。 もともとは、バンドの中

好きな楽曲:『ショー・ミー・ザ・ウェイ』

本日取り上げる"好きな楽曲"は、ピーター・フランプトン(Peter Frampton 1950/4/22- )『ショー・ミー・ザ・ウェイ Show Me The Way 1977』です。名盤『フランプトン・カムズ・アライブ! Frampton Comes Alive! 1976』に収められている一曲です。 二枚組ライブの名盤ピーター・フランプトンは、英国・ロンドン出身(通っていた小学校では、デビッド・ボウイ―の後輩という話あり)で、ザ・ハード (The Herd)、ハンブル

私の好きだった曲⑫:『エボニー&アイボリー』

私の好きだった曲(1980年代の洋楽縛り)シリーズの12回目は、ポール・マッカートニー&スティービーワンダー(Paul McCartney & Stevie Wonder)『エボニー・アンド・アイボリー(Ebony And Ivory)』です。 スーパースター同士の共演1982年3月に発売され、米ビルボードシングルチャートでNo.1を獲得、英国や日本でも1位になっている大ヒット曲です。英米の稀代の大スター、ポール・マッカートニーとスティービー・ワンダーの共演です。 この曲

名曲が生まれたエピソード:上を向いて歩こう

本日は、名曲『上を向いて歩こう』の書かれたエピソードを知っての驚きと感銘の記録です。 国民的楽曲『上を向いて歩こう』は、1961年に、坂本九(さかもときゅう 1941/12/10-1985/8/12)氏が歌って大ヒットしました。作詞は、永六輔(えいろくすけ 1933/4/10- 2016/7/7)氏、作曲は中村八大(なかむら はちだい 1931/1/20-1992/6/10)氏です。国民的楽曲と言ってもよいでしょう。 『上を向いて歩こう』は、2年後の1963年に『SUKI

夢で再会した『青い影』

本日のnoteは、プロコル・ハルム(Procol Harum)の名曲『青い影(A Whiter Shade Of Pale)』についての思い出と雑感です。 誰もが知る名曲プロコル・ハルムの『青い影』は一度は耳にしたことのある名曲でしょう。アーティスト名や曲名は知らなくても、冒頭の印象的なオルガンソロの音色を聴いた瞬間に、「あぁ、あれね」となるのではないでしょうか。 『青い影』は、彼らのデビュー曲です。1967年の発売直後から大ヒットし、英国チャートで6週連続1位を獲得して

私の勝負曲:Don't Stop Believin'

本日は私の勝負曲、ジャーニーの『ドント・ストップ・ビリービン Don't Stop Believin'』という曲への偏愛を語ります。 心の支えにしている曲私はこの曲が本当に好きで、長年聴き続けています。 この曲のイントロ部分を聴くと、自分の心が鼓舞され、背中を押されている気がします。嫌な気分の時、辛くて自暴自棄になりそうな時、それでも踏ん張りたい時、にこの曲を聴いて自分自身を鼓舞してきました。 この曲は、ロックバンド、ジャーニー(Journey)の1981年発売のアルバ

ハングリーハートの持ち主による明日なき暴走

本日のタイトルで「にやり」とされた方がいたら嬉しいです。ブルース・スプリングスティーン(Bruce Springsteen 1949/9/23-)の2つの名曲から拝借したものです。 "The Boss"ことブルース・スプリングスティーンは現在69歳、今年の9月には70歳を迎えるアメリカンロック界の大御所中の大御所です。私は彼の作品を熱心に聴き込んだ熱烈なファンではありませんが、その存在感とThe E Street Bandと共に残した幾つかの楽曲の素晴らしさ、そしてロッカー