弘法大師空海に蘇生された「鯖(サバ)」 - 『神々の意思を伝える動物たち 〜神使・眷属の世界(第四十八回)』
「神使」「眷属」とは、神の意思(神意)を人々に伝える存在であり、本殿に恭しく祀られるご祭神に成り代わって、直接的に崇敬者、参拝者とコミュニケーションを取り、守護する存在。
またの名を「使わしめ」ともいいます。
『神々の意思を伝える動物たち 〜神使・眷属の世界』では、神の使いとしての動物だけでなく、神社仏閣に深い関わりのある動物や、架空の生物までをご紹介します。
動物を通して、神社仏閣の新たなる魅力に気付き、参拝時の楽しみとしていただけたら幸いです。
弘法大師空海と「鯖(サバ)」
阿波国(現在の徳島県)には、「鯖大師」といわれる高僧伝説が数多く残ることで知られています。
徳島県海陽町の「八坂寺(通称・鯖大師本坊)」の縁起によると、この寺のある八坂八浜は難所続きの非常に険しい道でした。
あるとき、この険しい道を登り切ったところで旅の途中の弘法大師空海(774-835)が一休みされていると、どこからともなく空海を呼ぶ声がします。
声がする方を向いてみると、そこには行基菩薩(668-749)が雲の上に立って合掌されていらっしゃいます。
行基より、「其方は末永く、人々を救い尽くすであろう」との有り難い言葉を授けられた空海は、この地が御仏の霊地に違いないと確信したのです。
すると、そこへ険しい坂道を登って来る馬の蹄の音が聞こえます。それは魚の行商人(馬子)でした。
馬の背には大量の荷が背負わされています。これを見た空海は、少し馬を休ませてあげたらどうかと馬子に伝えますが、聞く耳を持たず先を急ごうとします。
それをさらに静止するように空海は、馬の背負っている荷の中身を馬子に問いました。
すると馬子は、「これは塩鯖だが、坊さんには縁のないものだ」と、取りつく島もない有様。
空海は、「では、その塩鯖を分けてくれないか」と言いますが、それも無視して馬子は馬の手綱を引いて先を急ぎます。
馬は悲しく疲れ切った目で、空海に何かを訴えているかのようです。
その馬の悲しげな目を悟った空海は、すくっと立ち上がると「大阪や、八坂坂中、鯖一つ、大師にくれで、馬のはらや(病)む」、と歌を詠まれました。
次の瞬間、馬子に引かれていた馬が、バタンと地面に倒れて苦しみ始めたかと思うと、みるみるとお腹が膨らんだのです。
これに驚き、慌てたのは馬子です。
馬が動かなくなれば、塩鯖を運べず、商売が出来ません。途方に暮れていると、ふと先ほどの自分の無礼な行いが頭をよぎりました。
罰が当たったのかもしれないと、馬子は空海の元まで戻り、塩鯖を一つ差し出して詫びたのです。
空海は受け取った塩鯖を傍に置いて、馬子に水を汲んで来るように言いつけ、その水に加持祈祷を施すと、その水を馬に飲ませるように言いました。
この水を飲んだ馬は、横たわっていたのが嘘のように、すぐさま立ち上がり元気になりました。
すると、もう一度空海が歌を詠みました。
「大さかや、八坂坂中、鯖一つ、大師にくれて、馬の腹や(止)む」
最初の歌との違いが、お分かりになるでしょうか。
最初の歌の「大師にくれで」は「大師に(塩鯖を)くれないで」の意味。そのことで馬の腹が膨らみ、苦しんだのでした。
二つ目の歌は「大師にくれて」これは文字通り、大師に塩鯖をくれたから、馬の腹の苦しみが止んだのだと歌っています。
さて、空海はさらに一山超えて馬子を法生島(ほけじま)の浜に連れ出すと、先ほど受け取った塩鯖を海へ投げ入れて、加持祈祷しました。
すると、塩鯖は瑞々しい姿を取り戻して生き返り、元気そうに沖へ泳ぎ去ったのでした。
自分の行いを反省し、空海の見せた数々の不思議な術に感嘆した馬子は、その後空海の弟子となります。
空海と馬子が出会った坂道を「馬ひき坂」、塩鯖に加持祈祷をした浜を「鯖生(鯖瀬)」と呼ぶようになります。
弟子となった馬子は、その後空海の元を離れ、空海と出会った「馬引き坂」に小堂を建て、行基像を祀り「行基庵」と名付けたのが、現在の八坂寺(鯖大師)です。
この空海の鯖大師伝説ですが、江戸時代初期には登場する僧は行基その人とされて、日本各地に伝わりました。明治時代以降からは、この僧を空海とする説が優位となり、また全国に広まったようです。
仏教や山岳宗教(修験道)では、餓鬼や鬼神、鳥獣、無縁仏のために、自分の食事を取り分けて供えることを「生飯(さば)」といいました。
数や年齢を誤魔化すことを「鯖を読む」と言いますが、これは生飯を取り分ける様子から派生したものと考えられています。