難をついばむ吉鳥、観音菩薩の化身 - 「スズメ」『神々の意思を伝える動物たち 〜神使・眷属の世界(第三十二回)』
「神使」「眷属」とは、神の意思(神意)を人々に伝える存在であり、本殿に恭しく祀られるご祭神に成り代わって、直接的に崇敬者、参拝者とコミュニケーションを取り、守護する存在。
またの名を「使わしめ」ともいいます。
『神々の意思を伝える動物たち 〜神使・眷属の世界』では、神の使いとしての動物だけでなく、神社仏閣に深い関わりのある動物や、架空の生物までをご紹介します。
動物を通して、神社仏閣の新たなる魅力に気付き、参拝時の楽しみとしていただけたら幸いです。
神使「スズメ」
「スズメ」の語源は、"小さいもの"を表す「ササ(細小)」という意味を持つ「スズ」、群れや鳥を表す「メ」が合わさったものだといわれています。「小さな鳥」=「スズメ」というわけですね。
スズメは実った稲穂をついばんで食害を起こすため、稲作農家にとっては天敵なのですが、一方では稲穂につくカメムシなどの害虫を食べてくれる益鳥としての面も持ち合わせており、「難をついばむ吉鳥」として信仰され、掛け軸や襖絵などに描かれました。
法然上人が開いた浄土宗総本山「知恩院」に古くから伝わる七不思議。このうちのひとつ、大方丈・菊の間の襖絵に描かれているのは「抜けスズメ」。
江戸狩野派の誇る天才絵師、狩野探幽の門人であり、東福門院の御用絵師として活躍した、狩野信政作の、この襖絵。紅白の菊の上に数羽のスズメが描かれていますが、あまりにも鮮やかな描写のため、スズメに命が宿り飛び去ってしまったといわれます。
浄土真宗本願寺派の本山「西本願寺」の七不思議にも「抜けスズメ」があります。こちらは円山派の祖であ利、"足のない幽霊"を初めて描いた絵師といわれる(諸説あり)、円山応挙の長男、円山応瑞の作。
書院・雀の間には、竹林をのびのびと飛び回る68羽のスズメが描かれていましたが、そのうちの2羽が抜け出し、残っているのは66羽です。
禅林寺(永観堂)の七不思議では、古方丈・孔雀の間の欄間に描かれたスズメがやはり飛び立っていなくなったといわれます。この欄間の裏には1匹のネズミが描かれており、飛び立ったスズメはこのネズミに変化したのではともいわれています。
この抜けスズメの話は、古典落語の世界でも名作として知られています。
伏見稲荷の焼鳥
稲穂についた害虫を駆除してくれる益鳥でもあるスズメですが、たわわに実った稲穂を食べてしまうことから、狩猟の対象になり食用とされてきた歴史もあります。
江戸時代頃より、京都の伏見稲荷や、東京・雑司ヶ谷の鬼子母神といった門前町では、スズメの焼鳥が参詣者に振る舞われ大変繁盛したといいます。
鶏を食べることが仏罰に値すると考えられていたり、鶏の肉を食べることが勅命により禁じられていた時代もありました。また、明治や大正の時代に至っても鶏は高級食材でもあったため、焼鳥の食材として鶏が一般的に使われ始めたのは昭和30年代頃からといわれています。
ですから、この門前町で振る舞われたスズメの焼鳥が、焼鳥のルーツといっても差し支えないのかもしれません。
現在でも伏見稲荷大社の裏参道では、スズメの焼鳥を提供しているお店は3店舗残っています。中国産のスズメが輸入禁止になったこと、国内でのスズメの狩猟が年に3ヶ月と限られていることから、供給源に陥っており、また動物保護の意識の高まりもあって江戸時代より続いてきた風習は、衰退の一途をたどっています。
観音菩薩の化身
羽毛の白いスズメは観世音菩薩の化身であり、霊光を放ち、はかりしれない吉祥をもたらす瑞鳥とされており、聖武天皇や、桓武天皇などへ10回にわたって献上されています。
西教寺の三羽雀
天台真盛宗の総本山「西教寺」の寺紋は"三羽雀"。左右対象に2羽、上から下を見下ろす1羽のスズメがモチーフとなっています。
この西教寺、聖徳太子が高麗の僧、僧慧慈、慧聡のために創建したと伝えられる由緒ある寺院であり、天台宗三本山の一つに数えられます(他は比叡山延暦寺、三井寺)。
織田信長による比叡山焼討ちの際に、西教寺も災禍を受け全焼しました。のちに明智光秀が檀徒となり、復興に力を注ぎます。
現在の本堂は、紀州藩が資材を寄進するなど特別な引き立てを受けて完成したものです。そうしたつながりから公家の坊城家が末寺の住職を務めることとなり、これ以来、坊城家の家紋である「三羽雀(坊城雀)」を寺紋として使用することを認められました。