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水源、地下水を司る水神の使い「鰻」 - 『神々の意思を伝える動物たち 〜神使・眷属の世界(第四十回)』

「神使」「眷属」とは、神の意思(神意)を人々に伝える存在であり、本殿に恭しく祀られるご祭神に成り代わって、直接的に崇敬者、参拝者とコミュニケーションを取り、守護する存在。

またの名を「使わしめ」ともいいます。

『神々の意思を伝える動物たち 〜神使・眷属の世界』では、神の使いとしての動物だけでなく、神社仏閣に深い関わりのある動物や、架空の生物までをご紹介します。

動物を通して、神社仏閣の新たなる魅力に気付き、参拝時の楽しみとしていただけたら幸いです。



土用丑の日

日本の夏は多湿で体力の消耗も著しく、「夏バテ」などという言葉もよく耳にします。

また、北半球の中緯度に位置する日本は、近年の地球温暖化の影響を最も受けやすいといわれており、毎年各地で最高気温を更新するなど、酷暑がニュースで取り上げられたりします。

そんな、体力を消耗しがちの酷暑を滋養強壮効果の高い「鰻」を食べて、乗り切ろうという方も多いでしょう。

昔から、「土用丑の日」には鰻を食べる慣わしがありました。

この「土用」とは中国の五行思想に基づくもので、立春、立夏、立秋、立冬直前の18日間を指し、この期間に訪れる「丑の日」を「土用丑の日」といいました。

今年の立秋は8月8日ですので、その直前の18日間(7/21〜8/7)が土用となります。期間中の丑の日は7月30日となりますので、この日が「土用丑の日」となります。

暑い夏を乗り切るために、鰻を食べるという風習は古来からあったようで、『万葉集』にもこのように書かれています。

(原文)
石麻呂尓 吾物申 夏痩尓 吉跡云物曽 武奈伎取喫

(訓読)
石麻呂に 吾もの申す 夏痩せに
吉といふ物ぞ 武奈伎(鰻)取り食せ

(仮名)
いわまろに われものもうす なつやせに
よしというものぞ うなぎとりめせ

『万葉集・第十六巻』作者:大伴家持

『万葉集』の編纂にも関わった歌人で、公卿の大伴家持が、友人である石麻呂に「夏痩せには、鰻を食べるのが良い」と勧めています。

実際に、夏(土用丑の日)に鰻を食べる風習が広まったのは、江戸時代、安永・天明のころといわれています。

通説では、本草学者の平賀源内が知り合いの鰻屋から「夏に売れなくなる鰻を、どうやれば売ることが出来るだろうか」と相談を受け、「本日丑の日」と書いた紙を店先に貼るように勧めたところ、その鰻屋は非常に繁盛したという話が由来だといわれています。

元々、江戸時代には丑の日に「うどん」や「梅干し」など、「う」の字のつく食べ物を食べると、夏負けしないといわれていたそうです。


縄文人も食べていた鰻

シラスウナギ漁(吉野川)

『万葉集』が成立した奈良時代より以前は、鰻と人との関係はどうだったのでしょうか。

茨城県の上高塚貝塚(土浦市)、小松貝塚(土浦市)、於下貝塚(行方市)、陸平貝塚(美浦村)といった縄文時代の遺跡では、鰻の骨が大量に見つかっており、当時から鰻が日常的に食べられていたとみられます。

これらの貝塚は、いずれも霞ヶ浦(琵琶湖に次いで二番目に大きな湖)周辺に点在しています。

当時の霞ヶ浦は太平洋とつながる内湾であり、霞ヶ浦や、霞ヶ浦に流入する桜川に遡上した鰻を捕獲していたのでしょう。

私たちが日頃口にする鰻は「ニホンウナギ」という種類に分類されます。

2014年に絶滅危惧種(レッドリスト)に指定されたニホンウナギ。その稚魚であるシラスウナギの採捕量は1970年以降減少傾向が続き、2019年には過去最低まで落ち込みましたが、昨年からやや回復傾向にあるようです。

日本文化に根付いた鰻を食す文化。限りある資源を、日本人の知恵と技術で守っていきたいものです。


神使「鰻」

縄文時代から食べられて来た鰻ですが、江戸時代以前は食べることが禁忌とされる時代もありました。

小川や河川といった水源、井戸水などの地下水を司る水神の使いとされ、宮城県、岩手県では「うんなん様」「うんなん神」と呼ばれる鰻の神様を祀った神社や祠が広く分布しています(「うんなん」には、雲南、運南、宇南などの字があてられます)。

遡上を終えた鰻は、洪水に乗って海へ戻るとされていたことから、東北地方ではこれを厚く祀りあげることで、洪水の難から逃れようとしたのではないでしょうか。

うんなん様は、湧水地、田畑の側の用水路、落雷のあった場所に祀られるなど、水の神と並んで、田の神、雷神と習合する傾向にあります。

水害や落雷を起こす神々の凄まじいばかりの力を畏怖しながらも、丁重に祀り崇めることによって、その力を災害除去や、豊穣に向かわせようとしたのです。


通称「うなぎ神社」ともいわれる、山梨県甲府市美咲に鎮座する「原山神社」では、この地に疫病が流行した際に、鰻を奉納したところ、無事に疫病が退散したという言い伝えがあります。

現在でも原山神社の脇を流れる相川に、鰻を放す神事が執り行われています。

鰻は、疫病退散のご利益もあったのです。

虚空蔵菩薩(東大寺)

また鰻は、虚空蔵菩薩の使い、化身ともいわれています。このことから、丑年と寅年生まれの人は、鰻を食べてはならない(丑・寅年の守本尊が虚空蔵菩薩のため)とする地域も全国各地に点在しています。

埼玉県志木市中宗岡地区では、このような言い伝えがあります。

この村の、ある農家の家の女の子は目を病んでいました。ある日、近所の子供たちと遊んでいるうちに誤って池に落ちて亡くなってしまいます。

突然の娘の死を悲しんだ両親は「せめて、あの世では目が見えるように眼病を治してやってください」と、この池の辺りに虚空蔵菩薩の像を建てて供養しました。

すると、この話を伝え聞いた目を煩う村人たちがお詣りに来るようになったといいます。大変、ご利益もあったようで、眼病が治った人はお礼に生きた鰻を、この池に放生しました。不思議なことに、放たれた鰻はすべて、八つ目の鰻に変わってしまったのです。

成田山新勝寺(千葉県)、三嶋神社(京都府)、彦倉虚空蔵尊(埼玉県)など、全国各地の寺社や地域では今も、うなぎ供養や放生が行われ、鰻に感謝をし、敬意を表しています。

生まれ年別・守本尊

丑・寅年生まれ】 
虚空蔵菩薩

辰・巳年生まれ】 
普賢菩薩

未・申年生まれ
大日如来

戌・亥年生まれ】 
阿弥陀如来

卯年生まれ】 
文殊菩薩

午年生まれ】 
勢至菩薩

酉年生まれ】 
不動明王

子年生まれ】 
千手観音


三嶋大社

三嶋大社の神池

静岡県三島市大宮町に鎮座する「三嶋大社」の神池に、かつて数多く生息していた鰻は、三嶋大明神の使いとして崇められて来ました。

しかもこの鰻には耳があったといわれています。江戸時代の本草書『本朝食鑑』にも耳のある鰻の記載があります(江戸時代の本草学者、高木春山が耳のある鰻を描写している)。

三嶋大明神の使いである鰻を食べることは、氏子ばかりか、三嶋宿に住む人々にも広く禁じられるようになります。迂闊にも食べてしまえば、神罰が下り、その家には毛のない、首の長い子が産まれると言い伝えられていたのです。

徳川幕府第二代将軍・秀忠が三島を訪れた際、家臣の一人が神池の鰻を捕って食べたことを知り、磔(はりつけ)の刑に処したほどです。

明治維新の頃になると、地元の言い伝えを知る由もない薩摩・長州の兵隊たち、神池の鰻を根こそぎ捕まえて食べてしまいましたが、神罰は下らず、しかも美味だったことから、この地域では次第に食べられるようになったといいます。しかし、社地内では戦後になるまで食べることはなかったそうです。



鰻に所縁ある神社仏閣

三嶋大社(静岡県三島市)
三嶋神社(京都市東山区)
星宮神社(岐阜県郡上市)
宇迦神社(岩手県遠野市)
原山神社(山梨県甲府市)
全国の虚空蔵尊など

参考文献

『神道辞典』国学院大学日本文化研究所(編)弘文堂
『神社のどうぶつ図鑑』茂木貞純(監修)二見書房
『お寺のどうぶつ図鑑』今井浄圓(監修)二見書房
『神様になった動物たち』戸部民生(著)だいわ文庫
『神使になった動物たち - 神使像図鑑』福田博通(著)新協出版社

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