亡き父が自分のお供え物を買った?
今日は、短いお話です。
かれこれ、7〜8年前のお盆の頃。
自宅にある仏壇へのお供えをまだ買っていないことに気付き、近所のスーパーへ出掛けました。
買い物を終えてスーパーの敷地から出ようとした時に、足下に何かが落ちているのに気付きました。
しゃがんで拾い上げてみると、小さな財布。
買い物に来られた方が落としたのかもしれないと、スーパーへ届けようと来た道を引き返そうとしましたが、既に中身のお金を抜き取られて、財布だけが捨てられた可能性もあると、中身を確認してみることに。
財布を開けてみると、ちゃんとお金は入っています。
そのお金、丁寧に折りたたまれた千円札です。
そのたたみ方を見て驚きました!
亡くなった父と同じお札のたたみ方なのです!
父は、小さな小銭入れにお札を真四角に折りたたんで入れる癖がありました。
大きな財布を持つのが嫌いで、スッとポケットに入る小銭入れを好んで使っていたんです。
落ちていた財布の中にあった千円札と、父の千円札の折りたたみ方は全く同じでした。しかし、同じ折りたたみ方をする人もきっといるはずです。
その時、あることに気付きます。
折りたたんだお札の中には小銭が入れてあります。
何と、今買ったばかりのお供え物のレシートを確かめると、拾った金額とお供え物の購入金額が一桁の位まで全く同じだったのです!
よく父は・・・
「死んだ人間に必要以上のお金は使うべきではない。『今』を生きている人間のためにお金は使われるべきだ、肉体の『死』と生きている者の記憶の中での『死』が伴って、本当の『死』なのだから『仏ほっとけ』くらいがちょうどいいんだ」
と言っていました。
拾ったお金を見て
「俺なんかにあんまりお金を使わなくていい、たまに思い出してくれればそれでいいんだ」
そう言いながら、父がお供え物にかかった金額を自分で負担したのかもしれないと思えましたし、ユーモアに溢れていた父なりのジョークなのかもしれないとも思えたのです。
勿論、拾ったお金はスーパーに届けました。
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