ある商業施設で起こる数々の怪異と、その歴史の考察
『背後に潜む無数の霊たち、女霊は僕を嘲笑っていた』の文中で触れた商業施設について、書いておこうと思います。
先日公開した記事は、私が駆け出しのフリーライター時代に請け負った心霊ムックの執筆作業の際に起こった怪異の数々や、それに関係する商業施設での出来事について書いたものでした。
多発する商業施設での霊の目撃
その商業施設とは福岡県北九州市の小倉駅前にある「アイム / コレット」です。
(地下1階から地上6階が「コレット」、地上7階から14階が「アイム」)
元々は平成5年に小倉そごうとして開業をしましたが、親会社の経営破綻から惜しまれつつ閉店。その後も玉屋、伊勢丹とテナントが移り変わるも、その度に経営不振に陥って閉店となっています。2019年2月末の「アイム / コレット」の閉店後は暫定的に数十店が営業を継続し、空きフロアをリニューアル後、新施設として生まれ変わる予定です。
この九州の玄関口、小倉駅の駅前すぐという絶好の立地にある「アイム / コレット」が営業する土地は、北九州にお住いの方々の間では「心霊スポット」として有名で、多くの目撃談があります。
その目撃談の内容のいくつかを、ここに挙げてみます。
このように多くの目撃談があります。
6階や3階での目撃談もありますが、ほとんどは地下駐車場での目撃です。これには訳があるのです。
由緒あるお寺の跡地に建てられていた!
ここ「アイム / コレット」はかつて浄土真宗本願寺派の永照寺が建っていた土地です。永照寺は武将の村上大炊允道定(釈道證)が明応4年(1495年)に開基した由緒ある寺院です。
室町(現在の小倉城のある場所)に寺地がありましたが、小倉城築城の際に米町(現在「アイム / コレット」のある小倉駅前)に移転しています。豊前小倉藩の初代藩主である小笠原忠真の篤い崇敬を受けるなど、長年この米町に寺地を有していました。
戦後になると、小倉駅前再開発計画が持ち上がり、立ち退きの対象となりましたが、当時の住職がこれに反対したため再開発計画そのものが頓挫するに至ります。
実際に永照寺が現在の大手町へ移転を決め、跡地に小倉そごうが開業したのは平成3年(1991年)になってからのことです。
出土した人骨
この永照寺の移転の際、永照寺周囲にあった駐車場、レストラン、西楽寺、東岸寺跡地を含む周辺一帯で「京町遺跡」として大々的に江戸時代の遺構、遺物の発掘作業が行われています。
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