神を背に乗せ、神聖視された「鹿」-『神々の意思を伝える動物たち 〜神使・眷属の世界(第六回)』
「神使」「眷属」とは、神の意思(神意)を人々に伝える存在であり、本殿に恭しく祀られるご祭神に成り代わって、直接的に崇敬者、参拝者とコミュニケーションを取り、守護する存在。
またの名を「使わしめ」ともいいます。
『神々の意思を伝える動物たち 〜神使・眷属の世界』では、神の使いとしての動物だけでなく、神社仏閣に深い関わりのある動物や、架空の生物までをご紹介します。
動物を通して、神社仏閣の新たなる魅力に気付き、参拝時の楽しみとしていただけたら幸いです。
神使「鹿」
神使としての「鹿」といえば、思い出されるのは奈良公園を始め、その周辺地域に生息する鹿たちでしょう。
奈良を訪れたことのある方でしたら、東大寺や春日大社へと向かう道筋で、餌を求める鹿たちに囲まれたり、通りをのびのびと優雅に闊歩する鹿たちの姿を間近にご覧になられたことでしょう。
奈良の鹿は、国の天然記念物に指定されており、古くから神の使いとして大切に扱われて来ました。
神護景雲2年(768年)、称徳天皇の勅命により御蓋山(みかさやま)の麓に、「春日大社」が創建されます。
この時、主神の武甕槌命(たけみかづちのみこと)が、常陸国一宮「鹿島神宮」から遷る際に、白鹿に乗っていたことから、この地に生息していた野生の鹿は「神鹿(しんろく)」と呼ばれ尊ばれるようになります。これが、神使「鹿」の由来です。
上の絵は、武甕槌命の遷座の様子を図象化した「春日鹿曼荼羅図(部分)」といわれるものです。
白鹿のつけた赤い鞍の上には、神の姿ではなく、仏の姿があります。
右から
です。
この仏は「本地仏(ほんじぶつ)」といわれるものです。
仏教が隆盛を誇った時代には、神仏習合の思想も同時に広まります。
人間を救済しようとする(神道の)神々は、仏や菩薩が様々な姿となって現れた化身である、つまり神々の本来の姿は仏や菩薩であるとする考え方です。
これを「本地垂迹(ほんじすいじゃく)」といいます。
この「春日曼荼羅図」の仏や菩薩は、それぞれ春日大社の若宮社、本社第一殿から第四殿までのご祭神の「本地仏」、すなわち化身なのです。
平安時代頃になると、鹿はさらに神聖視されるようになり、牛車に乗った貴族たちは鹿に出会うと、わざわざ牛車を降りて挨拶をしたとされます。
現在でも、奈良の鹿は人を前にすると、お辞儀のような動作をしますが、これは当時の貴族たちの様子を真似たものだという説もあります。
天迦久神
『古事記』にだけ登場する鹿の神、それは天迦久神(あめのかくのかみ)です。
大国主神が、葦原中国(あしはらのなかつくに)を天照大御神に献上する「国譲り」神話。
白鹿に乗って「鹿島神宮」から「春日大社」に遷座した武甕槌命の父にあたる、天之尾羽張(あめのおおはばり)が、大国主神との交渉にあたることになるのですが、この天之尾羽張に天照大御神からの伝令を伝えたのが天迦久神です。
天之尾羽張は、山奥で天安河の水をせき止めて道を塞いでいたので、他の神々は近づくことが出来ず、白羽の矢が立ったのが天迦久神でした。天迦久神の「迦久」は、「鹿児」を意味しており、まさに山を駆ける鹿の神だったのです。
天迦久神の「迦久」は、迦具土神の「迦具」にも繋がるとされ、火神との説も、また刀剣神ともされています。
各社の鹿たち
鹿に所縁ある神社
参考文献
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