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「社会」や「個人」は元々異文化だった【①「世間」と「社会」は何が違うのか】

「世間」と「社会」という言葉は、誰しも何気なく耳にしたり、口にする言葉だと思う。
なんだか似通っていて、同じようなものに感じている人がほとんどなのではないだろうか。
どちらも、私たちを取り巻く世界を彷彿させる。

この似通った2つの言葉、「世間」と「社会」は、何が違うのか?

この問いかけを掘っていくと、私の知的好奇心が非常に盛り上がることとなったので、以下にまとめていきたい。


「世間」と「社会」の違い


「世間知らず」「世間体を気にする」
私は30代だが、私の親世代はよく「世間」という言葉を使っていた。今も何気なく使われているシーンを目にする。

一方、私たちは「日本社会」や「国際社会」といった「社会」という言葉を、学校の授業やニュースなどを通して知っている。

さてここで、「日本世間」や「国際世間」、といった言葉を思い浮かべてみる。
もちろんそんな言葉はない。

「日本社会」や「国際社会」という言葉はあって、
「日本世間」や「国際世間」という言葉はない。

ここに、「世間」と「社会」という言葉の違いを考えるヒントがある。

テンポ良く書いていきたいと思うので、早速その答えを書いていこう。

「世間」とは、自分と、現在または将来関係がある人達で構成される集まりのこと

「社会」とは、自分と、現在または将来、何も関係がない人達の集まりのこと


「社会」という言葉から思い浮かべられるもの

話を分かりやすくしたいと思うので、私のお母さんに登場してもらいたいと思う。

私のお母さんは今現在、兵庫県に住んでいる。
そんな私のお母さんに、「日本社会」という言葉について、思い浮かべてみて、とお願いしてみたとしよう。

お母さんは東京の大都会で交わる人々も思い浮かべられるし、沖縄に住んでいる人も思い浮かべられる。北海道も名古屋も四国でも。

お母さんは、日本に住んでいる人々を、「日本社会で暮らしている人」として思い浮かべられると思う。
「日本社会に暮らしている人々」は、お母さんと顔見知りであるか、関係があるどうかは、関係がない。


「世間」という言葉から思い浮かべられるもの

一方、私のお母さんに、お母さんがよく口にする「世間」を思い浮かべてみて、とお願いしてみたとしよう。
私のお母さんは、「高校生にもなって漫画を読むなんて恥ずかしい」「そんなこと周りの人は誰もしていない」といった事をよく言う人だった。
いわゆる「世間体」を気にする人だった。

そんなお母さんに「世間」を思い浮かべてみて、お願いしたら、
お母さんは日本社会を思い浮かべた時のように、沖縄や北海道や名古屋や四国に住む人々を思い浮かべられるだろうか。

それはしないだろうと思う。

「世間体を気にしている」と思われている人の「世間」とは、自分の周り、つまり自分と関係を持っている人々、あるいは将来関係を持つことになる人々(進学先や就職先など)と言えるのではないだろうか。

「世間」とは何か


私は広い意味で「世間」をいう言葉を使っている、と言う人もいるかもしれない。
でもそれは、あまり「世間」と「社会」の違いについてあまり意識されて来られず、混同されてきたからではないだろうか。

私はこうした「世間」と「社会」の違いを問いかけ、問題にした歴史学者である阿部謹也氏の本を読んで、この記事を書くにあたった。
『「世間」とは何か』と言う本である。

帯には「日本社会の本質をえぐる歴史的名著」、とある。

仰々しい紹介文だけれど、確かにこの「世間」と言う言葉は、日本を理解するにおいてかなり重要な言葉だと言うことが、この本を読めばわかる。

阿部謹也氏は、日本に古来からあるのは「世」や「世間」であり、
「社会」は明治以降に輸入された概念であることをこの本で指摘している。

「社会」とは何か


「社会」という日本語は、日本に古来からある言葉ではなかった。

日本の近代化が進む明治時代に、「society」という外来語を輸入・翻訳することによって誕生した歴史期的には若い言葉なのだ。
私はこの話を始めて知った時、これは面白い話になって来たな・・・とワクワクした。

ここで「翻訳語成立事情」という本も読んでみた。

これまた面白い本で、明治以降に日本には元々なかった外来語の言葉を翻訳するにあたっての成立事情をまとめた本である。

まず初めに「社会」の成立事情が紹介され、「個人」や「恋愛」、「権利」といった、私たちが当たり前にあると思っていたような言葉が、
実は明治以降に翻訳されて生まれた事情が書かれている。

「社会」の章の中で、あの福沢諭吉が「society」を翻訳するにあたって、
色々と苦労する姿が描かれている。

なぜなら、自分とは関係がない人々を含む「society」という概念が、それまでの日本には無かったからだという。
農村や町民、武家、といった人々は自分と関係のある人々の集団「世間」で暮らしていたという。

「社会」という言葉ができるまでに、「society」は「交際」や「人間交際」といった言葉で翻訳されてきたそうだ。

「世間」とは何か、「社会」とは何か


ここまで知ると、「世間」とは何だろう、「社会」とは何だろう、という疑問が膨らんでくる。
私はそれを探っていくと、知的好奇心がどんどんと活性化されていくような、とても味わい深い気持ちで本を読み進められた。

そうして読み進めて考えていくうちに、
「社会」や「個人」とは元々異文化だったのだな、と思うようになった。

これをテーマに記事を書いていきたい。

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