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仕事ができてもできなくても、それなりにボロクソになって労働に見切りをつけた話

10年前の死にたかった私へ、10年後の死ねなかった私より

10年前の夏
新卒で仕事できなくて発達障害未診断で絵に描いたようなメンヘラだった私は、港区某所のビルの非常階段でお昼休みと称して投身自殺を試みていた。
結局死ねなくて、休職した後会社を辞めた。
自分は何にも人並みにできないし、向いている仕事なんかない、死ぬしかないと本気で思い込んでいた。

10年後の秋
障害者手帳を取得して障害者枠で雇用され、後輩に仕事を教えたりする程度のポジションになり、曲がりなりにも評価されている。年収も何度かの昇給を経て、10年前を上回っている。(一時期ニートだったのでけっこう奇跡に近い)
仕事が人並み以上にできるようになれば、死にたさは軽減されるだろうという10年前の期待に反して、希死念慮にかられていた。

仕事ができても何がストレスなのか?

ストレスの主な原因としては、以下3点が挙げられる。
1.管理職や指示を出す側である一般枠の定型発達者の問題
2.障害特性への合理的配慮が忘れられてしまう問題
3.投資(FX)を始めたら時間労働がばからしくなった

以下、詳しく述べていく。

1.管理職や指示を出す側である一般枠の定型発達者の問題

障害者雇用といっても千差万別なので、あくまで弊社の場合の話なのを留意して読んでいただきたい。これから障害者枠で働きたい方々の希望をそぐ目的ではない。

各部署に障害者雇用の人が配置されるパターンではなく、社内の特例子会社的な「障害者雇用の人だけを集めた部署」に所属し、別部署から切り出された業務を行う。
業務の直接の指示者は別部署の人、所属部署の管理職は業務の詳細を十分に把握できていないという組織の構造上の問題がある。

所属部署の上司の問題
上司に業務に関しての相談をしてみても、上辺だけの一般論や理想論の空虚な言葉が返ってくるだけで、問題の根本を解決する気がなさそう感が漂っている。結果、所属部署内でのお話合いはポーズに終わる。上司は部下の話を聞きました体で満足していることだろう。おめでたい話だ。

現状維持バイアスで今の立場は失いたくないし、なるべく少ない労力で「今までの蓄積」の中からそれっぽい答えを引き出すだけ。新たに考えるのはめんどくさい。目先の指摘しやすい部分だけ指摘して、本質にはいつまでたっても触れない、見えない、見なかったことにする、そこまでの思考力がない。だからこの窓際みたいな部署に飛ばされたのだろうか?

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「相談に乗ること」をメイン業務だと思っているフシがあり、いつまでも問題が解決せずに相談に乗っていられれば自分の役割を確保し続けられて自己効力感が維持できるのかもしれない。
はあ、マネジメントって言葉知ってますか?
(ちなみにこれ1人じゃなくて複数人ですよ。タチ悪いでしょ?)

別部署の指示者の問題
部署ごとのローカルルールが存在する。そんなの当たり前と言われそうだが、私の担当案件の依頼元は曖昧な指示を出しがちな部署が揃っている。部署内での情報共有がなされていない。前任者との引継ぎが不十分など。
誰が作ったのか分からない謎データを渡され、こっちが間違いを指摘して、修正して、当初の作業工程を大幅に修正してからが業務のスタートで、依頼内容の10倍ぐらいの業務を当初の納期でやっていたりする。

忙しくて。忘れてた。分からない。確認するから待って(回答来る頃はもう締め切り来てて実質即日処理)
私は材料入れたらてきとうに美味しい料理を作ってくれるホットクックじゃないですよ?
いつの間にか仕事できると思われてたり、感謝されてたりするんだけど、かなりギリギリで神経すり減らしてやってるのを理解してくれ。
無茶ぶりに対応しないと終わらないから対応してたら無茶ぶりが日常化したっていうあるあるですね。
(仕事できないふりするのも身を守る手段でしょうね!)

2.障害特性への合理的配慮が忘れられてしまう問題

それなりの人数がいる部署だと、どうしても管理職は「配慮が多く必要な人」に注意が行きがちになる。そうでもない(風に見える)タイプは放置されがちだ。
何で相談しないの!報連相!ほうれん草!と言われるんだが、はっきり言って相談しても改善が見られない状態で何年か働いてると上司に期待しなくなるのだ。端的に言ってめんどくさい。
脳内には大体ソリューションが浮かぶから、普段その業務担当してない上司に相談しても回り道じゃん?自分で行動した方が早い(手間はかかるとしても)

私は採用時の面接で、以下の合理的配慮の希望を伝えていた。
・マルチタスクが苦手なので、1つ1つ業務を処理できるスケジュールで仕事をしたい。
・曖昧な指示は理解しにくく、ミスにつながるので明確な指示を出してほしい。

この程度で、高望みなんだろうか?
仕事で指示を出す側としては、社会人としての「常識」の範囲内ではないだろうか?(定型発達者は好きでしょ?「常識」)

「周りより仕事ができる」と思われる≒「放置しても大丈夫」
に都合よくすり替えられてしまっている気がする。金で解決できない部分でもあるんだな。だって昇給しても徒労感で自殺したら使う暇ないし。

10年前の職場では「仕事できない側」だったのだから、
そんなの適材適所だ!向いてる職場にありつけたんだから文句言わず働け!とお叱りを受けそうな話だがつらいもんはつらい。
(カウンセラーにも辞めるのはもったいないんじゃないんですか?と毎回言われる)

3.投資(FX)を始めたら時間労働がばからしくなった

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この夏からFXを始めた。人生初の投資である。小心者で慎重派の割に思い切ったと思う。

まだ1000通貨単位で1Lotのトレードしかやってないので、ネタとして語れるほどの利益も損失も出してないが、正直かなり面白い。
トレードで資金を増やせるのも面白いし、何より考え方が定型発達社会での発達障害がサバイバルする生き方と共通する部分が多くあるのだ。そのポイントを見つけると小躍りするほどアドレナリンが出る!
将来的にそれで1冊本書きたいぐらい。
(発達障害者全てがFXに向いていると言いたいわけではない。衝動性が強いタイプは大損するリスクが大きいし、視覚過敏でチャートを見るのもつらい、LDで数字が苦手など、苦手さを克服してまでやる必要は全くない。むしろ止める。)
FXは「待つも相場」をまさに現していて、何時間チャート見てたからエントリーポイントが来る、何時間勉強したら上手くなる。という類の概念が全く通用しない。自分の費やした時間が報われるとは限らない世界だ。

プライベートでその考え方に足を突っ込んでると、勤続年数長いとえらいだの、ぐちゃぐちゃした状態も時間をかけて整えていきましょう!なんて理想論もうるせえ!ってなる。
さっさと稼いでさっさとリタイアしたいわ。

必要だった変化

死にたさは「定期」な私にも、変わった部分がある。
少ないお金を楽しく消費することに心血を注がなくなった代わりに、リスクを取ってでもお金に働いてもらいお金を増やすマインドに変わった。
不用品はリサイクルショップに投げ売りではなく、メルカリで売るようになった。溜まったメルカリポイントで投資本を買って勉強している。
トレードと動画編集のために20万円のパソコンを買った。
もったいなくて物が捨てられないマキシマリストから、ミニマリストになった。
引っ越しの物件選びで優先事項が「家賃の安さ」「収納の大きさ」から「生活動線」「駅近」に変わった。
外見へのこだわりは「個性的」から「手間をかけずに小綺麗」「脱コルセット」に変わった。
他人からの印象が「感受性が繊細」から「合理的」「効率的」に変わった。
小説の代わりにビジネス書、映画の代わりにYouTubeでトレード実況を見るようになった。
「感性」をだいぶ殺したが、昔持っていた「感性」は生きづらさの根源でもあったと今になって思う。

10年前の私に言えること

障害者雇用が働けなさによる自信喪失を補填してくれるわけではない。
定型発達者への擬態や処理速度が速くなって楽になるわけではない。
人に合わせた「労働」自体が向いてないなら、ある程度で見切りをつけていい。取り急ぎ、労働時間を減らす方向で社内で調整を進めている。

・他人にも自分にも過剰に期待するな
・手と頭を動かせ
・成功した自分だけイメージしろ
・合わない人に無理に合わせなくていい
・定型発達者の「正解」に寄せたところで偽物にしかなれない
・金が全てじゃないが全てに金が必要だ

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