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頭ではなく心で生きる。

わたしを生きる。

私はヨガと瞑想を通して、それぞれが”その人”として生きることを応援する仕事をさせていただいている。”自分を生きる”をサポートする立場に立たせていただいている。そういう役割を与えていただいている。

だからこそ、私自身が「私を生きている」というある程度の自負がないとやっていられないと、その自負がないとこの仕事をしちゃいけないんだ。

そう、思っていたのだと思う。


けれど本当にそうなのか。

それは本当に必要なことなのだろうか。


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大切なのは、「私が私を生きているという自負」ではなく、

それよりも、「私が私を生きることの大切さ」だったり、「私が私として生きることによって生まれる心地良さ」だったり、「自分が自分を生きているという実感からくる安心感」を、ちゃんと理解していることなのではないだだろうか。


少なくとも、今日の私はそんなふうに感じている。


そしてこの事実に気づいてから、すこぶる心地が良い。


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この立場に立たせていただいているのだから。
ここでずっと誰かのために、サポートをし続けていたいから。

だから、”自分を生きていないと” という決まりごとを自分で自分に押し付けていると、

ついこの間までのように、本当は「自分がどこか自分らしくない」という
感覚を感じていても、その気づきや感覚に、蓋をしてしまうのだと思う。

わたしとして生きたい。が、わたしとして生きなければいけない。
へと変化したとき、それは自分を苦しめるレッテルになる。

そして、わたしをわたしから遠ざけるものとなるのだと思う。



だから、今回のようなことを繰り返すことがないように、

『”私を生きる”を伝える人なのだから私は絶対に私を生きていなくちゃならないのだ』というruleを今、ここで、手放しておこうと思う。



心と、頭と、お腹の底の声。

もう少しバランスをとってあげよう。バランスをとってあげたい。

心を伸び伸びとさせてあげよう。伸び伸びとさせてあげたい。

頭はいつだってcoolに、きれきれが良い。
ボーボーと激しく燃えていては、心のノイズになってしまうのだから。


頭、心、お腹。
それぞれをそれぞれとして大切にしたい。


お腹の声は、きっと私という生き物の、大黒柱なのだと思う。

陰でいつも支えてくれていて、ありがとう。
いつもいつも、ありがとう。

本当はいつもさりげなく、支えてくれていたのだよね。
これからはもう少し、お腹の声に耳を傾けてみるからね。

そう声をかけました。


”本来の自分に還り、ありのままで生きること”
これからもずっと、ここに関わり続けたい。


だからそのために、わたしはわたしと向き合い続けるし、

私が私として生きることの、心地良さも、難しさも、
たくさん、たくさん、経験し続けたいと思う。

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