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愛着障害を克服して得られたもの

7月に友人相手に大自分掘りをした過程を
3回に渡って有料記事にした。

もちろん一つも売れてはいないが、
自分的にはそれで良いと思っている。
それを読もうという人は滅多にいないと思う。
それでいいのだと。

でも今日は私のその後の話を
ぜひ聞いてくだされ(今回は無料)🙏
まずは概要から。

私はある友人に執着と依存をしていた。
その人は私にとって特別な人だったけれど
その人は特別な人は作りたくない人だった。
互いの課題も意識しつつ
何度も試行錯誤しながら離れたり戻ったりしていた
最終的に重いと言われ、徹底的に距離を置かれ、
その間にわたしが自分の生育歴の中に
愛着障害とも言えるものが
あるのだと分かり、
その発端である両親に対する
総決算が起き、大きな赦しが起こった。

そしてその彼女に対する執着から解放された。

という過程を先の三記事に細かく書いた。

しかし、本当に彼女への執着から
解放されたのだろうか。

本気の執着は、
それまでの間に
たくさん傷がついているので、
どうしても
蔑ろにされ、
大切にしてくれなかった
数々の傷を
完全になきものにはできず、
それが完全に癒やされていない間は
完全脱却というわけにはいかない。

確かに、執着とかは相当なくなっている。
会いたいとか受け入れてもらいたいとか
絶望的な悲しさとか拗ねとイジケなど
そういう気持ちは相当消えている。
つまり限りなく彼女は”ゼロの存在”になった。

知らない人ではないので知人レベル。
しかもその知人は私にとって
今やなんのメリットもない
(以前は彼女の存在価値は
私の存在がかかっているレベル(笑))。

でもまだ10%くらいは傷が残っているのだが

ゼロが見えてきて、
これから、どうなるのかな〜って。

なんていうか
知り合いから親しい友人に
なるんだろうか
ならなくても良いし
なんでもないし
こっからはなんかあれば
プラスしかないし

みたいな新鮮な気持ちが見え隠れしてきている。

それが見えてきたのでこんな文章を書いている。

つまり、先の三記事を超え、

その愛着物語の”秘密”を
全部暴き出し書き出し

心底納得し

彼女の役割が終わった

ということ。

それが表面的には彼女も望む形で

私の深層意識の望む形だったということ。

それを乗り越えるのは大変だった。

大変だった分、得られたのは、


無限の愛の鉱脈


だった気がする。。

自立ってシビアだけど
それだけの価値がある。

と思う。
もちろんちょっとまだ悔しいけどね🥹

いつも読んでくださってありがとうm(_ _)m

ではまた!

その3記事です。
返金可にするので、もしよかったら読んでみてください。
カウンセラーの方などにも1事例としてお役に立つのではないか、と思います。



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