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ひきこもり日記*無知と無関心。こわいのは無関心

引きこもっていると、人とのコミュニケーションが薄くなり、人に無関心になってしまうことがある。そして知らないことが増える。
無知と無関心。この言葉、こわい言葉だ。
だれかにされたくないこと。でも自分ではやってしまうこと。
とくに無関心は無知を呼ぶ。

無関心は心の奥に「知りたくない」という想いが潜んでいる。
関心がない。忙しい。めんどう。どうでもいい。
……並べただけでも気分が良くない。好きな人に言われたら立ち上がれないどころか、もっと引きこもる自信がある。

私は運動が苦手で、運動をしていても楽しいと思えない。スポーツ観戦はできるけど、そもそもそんなに興味がわかない。→どんどんわからなくなる。→無知が深まる。→もっと興味がわかなくなって無関心になる。
こんなことを繰り返してる心の奥に、知らなくていいという思いのほうが強いから、無関心になるのだと思う。

例えば私の発言がどこかで炎上したとしても、それは誰かが関心をもってくれたわけで。
植物だって毎日「おはよう」と声をかければ、元気でいてくれる。
過去に枯れてしまったのは、存在を忘れてしまったから。
それは植物の育て方を知らなかった”無知”からなのではない。
無関心から枯れてしまったんだと思う。

いままで知らなかったことを見ようとすること。そして関心を持つこと。意識しないと難しいなあと思った。必要じゃないこともあるかもしれないけど、関心を持たないと必要かどうかもわからないし。

情報があふれかえっている今、だれも私のことは知らない。”わたしはここにいる”と、こちらからのアプローチは必須だろう。たとえ引きこもりだろうと、だれからもなにからも興味をなくしてしまうなら、いのちが枯れる。

わたしのことは誰も知らない。でもじぶんのことは少なくとも関心がある。
もっとじぶんに興味をもとう。おもしろがってみよう。
これまで知らなかったことに好奇心を持ったり、想像力をふくらませることは、成長というか発展があると思う。

だれかを救うのは好奇心。
無関心は無知を呼び、もっと恥ずかしく無関心を深めてしまうから。


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