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HSP*面倒見がいい人の裏の顔

日曜の朝、布団から出ないで本を読んでいた。
しばらく本を読んでいて、突然のように雨の音がすることに気がついた。いつから?なんて思いながら、ふとある人のことを思い出した。

職場の同僚だった彼女は、雨が降ったら大騒ぎして、傘だの服だの通勤をどうするかだの、雨が降ることがイベントのように言う人だった。

彼女はわたしより10ほど年上で、年の差を感じさせないかわいい人。面倒見がよく、明るく、いろんな相談にのってくれる。
離婚歴2回の独身、娘さんがひとり。たぶん、ご実家がお金持ちのお嬢様。
プライベートは(隠していたから)あまり口にしないけれど、経験したことは的確にアドバイスをいただける。
そんな彼女を頼りにして、いろんな人が彼女と一緒にいたがったようにわたしには見えた。

相談をしたり、一緒にごはんを食べたり、飲みに行ったり。そのころは楽しかった。「いつも聞いてくれてありがとう」そんなコトバしか出てこないほど、いろんな話をした。

時間がどんどん過ぎて、よくよく考えると、経験という昔話をするときに、彼女は人を、すべて”自分の見かた”で、判断していることに気がついた。
「むかしとてもお世話になった上司がいて、いつも高級料理をごちそうしてくれていたの。その人はいい人だったわ。どんなにみんなが彼のことを嫌おうと、わたしにはやさしくしてくれたわ」
「いやな人がいて、わたしがその上司にだいじにされているから、わたしのことを無視しだしたの。わたしはただがんばって仕事をしたけど耐えきれなくて会社をやめたわ。あの人のせいよ。」

彼女なりに必死なのはわかるけれど、わたしにはだんだん彼女の味方になっていないと嫌われるのでは、という考えばかりになっていった。

ある日、泣かんばかり(実際、夜中、泣きあかしたらしい)に言いだした。
むすめさんがインドの人と結婚したいと言っている。この世の終わりだ。わたしは生涯ひとりの身になってしまう。どんなことがあっても反対する、と。

大喧嘩をしている話は聞いていた。むすめさんのブログを見つけ出し、母(彼女)の悪口を読んで、わたしの前でむすめさんのことを「ほんとに娘に言うこと?」と疑うくらい罵っていた。

わたしは、娘に結婚したい人ができたことはめでたいことだと、むすめさんが決めた人ならだいじょうぶじゃないのか。会ってみてから考えてもいいじゃないかと、言ったけれど聞く耳を持たない。
彼女にインドから会いに来たむすめさん彼氏とは、ちょっとお茶を飲んだだけで終わったらしい。(その後どうなったかわからない。むすめさんのしあわせを願う)

ある日、彼女と旅行に行った。
彼女は飛行機の中も、見事な景色の中でも、わたしの知らない、ここにいない人の話をずっとしていた。そして二言目には「わたしはこう思われたくないわ」「あの人はこう思っているのよ」
ぜんぶ彼女の憶測の話。
わたしは景色の話がしたい。目の前のごはんの話がしたい。
いいかげん彼女の話をさえぎることが、めんどうになったわたしは、彼女の話を聞いていなかった。
適当に相槌をうって、他のことばかり考えていた。

決定権はすべて、彼女だった。
娘の結婚も、旅行中の日程や食事も会話も。

助言だと聞いていたことが、余計なお世話だと感じるようになった。そして冷静に見ると、彼女はしあわせを自身で、こわしているのではないかと思うようになっていた。
いま感じるしあわせを、感じていない

わたしが彼女から距離を置き始めたころ、職場の同僚の何人かの、私に対する態度が冷たくなった。キターと思ってしまった。味方を求めて陣地を変えたな、と。

頼られる人になる優越感。
”ほっとけない”というこころの裏は、マウンティング。
かまってほしいとは見せずに、かまって”あげている”が、みえみえ。
他人のためは、じつは自分のため。

最後に連絡がきたのは、LINEスタンプで新年の挨拶。
わたしはあえてスタンプを返さず、丁寧語すぎる丁寧な挨拶を返した。
それから連絡はまったくない。
寂しいとも思わない。

彼女は、生きづらいなんて思っていないのだろうなあ。
頼ってくれる人が”いい人”で
じぶんのことをかまってくれない人はどうでもいい人。

境界線を意識して、相手の気もちになって考えようという、いいきっかけをくれたひとでした。
ありがとうございました。

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