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【映画】名付けようのない踊り


名付けようのない踊り00


「名付けようのない踊り」を観た。

■とても良かった。
田中泯にとってダンスは自己表現ではなく、
世界のありとあらゆるもの翻訳表現だ。
翻訳なので見ればそこらにあるものだから
わざわざ踊りに変換しなくてもよい。
しなくてもよいことをするのは遊びだ。
遊びはとても楽しい。
帰りの足取りが滑らかになってしまう。

■映画というかドキュメンタリーなのだろうか。
ダンサーの田中泯を数年追いかけた映像。

■私が彼を初めて見たのは
誰かが上げてたTwitterの動画だった。
着流しにツバの付いた帽子にスニーカー。
とても軽やかに踊っていて
目を奪われた。

■それから数年後
京都市京セラ美術館(2021,20/3)にて
美術館のイベントで田中泯がパフォーマンスをやるというのを
その場で偶然知って飛び込んで見に行った。

■それは美術館内の庭園での静かな踊りだった。
以前見た軽やかなステップではなく
まるで歌舞伎か能のようなじわじわとした動き。
しかし、それも目が離せないものだった。

何なのだ?
これは一体何なのだ。

■しかし、それとは逆によく分かるのだ。
とても自分が心地良いと思うものと
同じ骨格を持った踊りだった。

そんな感じで映画を観た。

■いろんな場所でいろんな人たちの前で
田中泯は踊る。
その場の雰囲気を踊りで再現する。
そこにあるものを
そこにあった記憶までも
踊りで翻訳し、出力する。

■それは感想文のようなものだ。
こんな場所に行ったのだと、
言葉で無く、踊りで伝えようとする。

変なの。

■だけど、それが面白く
心地良い。

とても素敵な遊びだ。

■それは別に私がやっても良いのだ。
そうすればそれはまた少し違うものとして
出力されるであろう。

同じものを見ても
人の数と同じだけ違うものが出来る。
多種多様なダンスが生まれる。

あなたのそれをキッカケに
私の中の踊りが生まれる。

面白いね。
楽しいね。
そいつはとっても
愉快だね。

■あと、なんか現在は達観したような感じがあるけど。
若い頃は基礎から動けなかったり、
かと思えば尖り過ぎて
リズムに合わせないとか、
人と違うことをしなければならないという強迫観念
的なことに追い立てられたり。
普通の芸術青年の時代もあって
ちょっとホッとした^

■そして福島に行った時の映像。
映画製作者的には
「福島の自然と命をダンスで!」
とか思ってたのだろが
田中泯は廃墟にいた「蜘蛛」を見つけ
「蜘蛛のダンス」を踊った。
とても愉快。

■場の翻訳、七尾旅人とか井上涼がその使い手だと思う。


映画『名付けようのない踊り』オフィシャルサイト
https://happinet-phantom.com/unnameable-dance/

Prime Video 田中泯
https://amzn.to/35mj7zB


極楽京都日記: 【映画】名付けようのない踊り https://kyotogokuraku.blogspot.com/2022/01/blog-post_29.html?spref=tw

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