見出し画像

ある本屋で、コーヒーと。6

続きものです。
からお読みください。

 それから1ヶ月、私はその本屋のあるカフェに足を運ぶことはなかった。それどころかどのカフェにも行かなかった。仕事が終わったらすぐ家に帰って、部屋で一人、自分で淹れたドリップコーヒーを飲みながら、本を読む。そんな毎日を過ごしていた。
 私はカフェに行かなくとも、本とコーヒーのインスタ投稿は地味に続けていた。今読んでいるのは【待津野ひまわり】の一番新しい本。初めて彼に会ったとき、彼が読んでいた本。彼女の本が私と彼を繋いでくれた。だけど、その本が二人を引き離した。引き離したというよりは、自分から離れていったのかもしれない。私のインスタには今日も「ひまわり」の画像をアイコンにした誰かからの「いいね」が付いていた。ふと、私はその人のページに飛んでみた。どんな投稿をしているのか興味を持ったのだ。

#もうすぐです
#きっと会えます

 の書き込みと共に、本とコーヒーの画像が貼られていた。その本は、私が盗んでしまった待津野ひまわりの本と同じだった。

 突然、携帯が鳴り響いた。心臓もその音と連動して鳴り響いた。
 そこには見知らぬ番号が表示されていた。
 いつもは知らない番号からの電話には出ない。
 なのに気付いたら応答ボタンを押して、携帯を耳に当てていた。
 「・・・俺。覚えてる?本屋で会った」
 思考をめぐらす。私の中に、答えは一つしかないのに。
 覚えてる、そう答えようした私の肩を誰かが叩いた。

 私はゆっくりと振り返った。もちろんそこには誰もいない。本の世界ではここで二人が再会して、離れていた心が近づいていく。私もこの物語の主人公だったら、今頃幸せな春を迎えられていたのに。
 春。そう、もうすぐ4月。春は目の前だった。私は春が嫌いだ。皆が浮足立つあの雰囲気が得意ではない。「さくら」という名前なのに、私の春にはさくらが咲いたことがない。入学式も、新学期も、入社式も、皆に溶け込めなくて、いつも空間の端っこで本を読んでいることしか出来なかった。まもなく社会人として2年目の春がやってくる。

「もうすぐです」

 ひまわりアイコンさんのインスタ投稿を思い出した。この人にとっては何が「もうすぐ」なんだろう。何に「きっと会える」んだろう。その投稿は明るい未来で満ち溢れているようにも見えたが、一方で、空虚な夢を追っているような哀愁も感じた。私のように【待津野ひまわり】の本のファンなのだろうか。ちょっと会ってみたいような気もした。だけど、彼と会っていたあの女のような、いかにもな女が来たら困る。私はアプリを閉じた。

 ピンポン。

 玄関のチャイムが鳴った。こんな時間に誰だろう。スッピンだったのでマスクを着けてドアに向かった。ドアスコープに左目を近づけて、外にいる人物を伺った。

 ガチャ。

 閉まっているはずのドアがなぜだか開いた。
 ドアの方に体重を掛けていた私は、そのまま外に飛び出してしまった。
 私の身体を謎の訪問者が優しく受け止めた。
 その人物から、昔よく遊んだ山と緑の匂いがした。
 『ここから逃げ出そう』
 男の人の声だった。ずっと昔に聞いたことのある音。
 彼の身体にしがみつくと、彼は黒いマントを翻し、私を包み込んだ。
 そして一緒に、底がない大きな箱の中へ飛び込んだ。

「宅配便です」

 緑色の服を着た配達員が、笑った口元のロゴがついた箱を持って立っていた。私はドアを開け、荷物を受け取った。配達員はサインをもらうと軽いお辞儀をして去って行った。小説のように、私を迎えに来てくれる人はそうそういるものではない。私の部屋に訪れる人と言えば、配達員か、家電修理の人くらいなものである。
 リビングに戻り、受け取った箱を開くと、通販で注文した本が入っていた。先日発売されたばかりの待津野ひまわりの小説。短編小説のオムニバスであった。本を手に取り、まずは少しだけ匂いを嗅ぐ。それから表紙を眺める。淡いピンクと黒を基調とした抽象的なデザイン。初め、何が描かれているか分からなかったが、遠めに見てみると、桜の花びらのように見えた。本のタイトルは『桜のあとで』。私の名前がタイトルに入っているなんて、ひまわりさんが私のために書いたのではないかと錯覚してしまう。本を手にしただけで喜びを感じられる私は、もしかしたら幸せ者なのかもしれない。早く読みたい。ひまわりさんの世界に浸りたい。気持ちが高まる。

 だけどこれはまだ読まない。なんとなく、まだ読むべきではないと、長年本と向き合ってきて感じることがある。私はその直感のような、お告げのようなものを信じている。この本を手にした時もそれが働いた。そしてその翌日は、たいてい良いことが起こるということも信じていた。だから、枕元に本を置いて、私は眠りにつくことにした。明日、良いことが起きたら、本を読み始めよう。

 気付いたら夢の中だった。
 そう思ったのは目の前にいる人物の顔がぼやけていたからだ。
 何度瞬きをしても、腕をつねってみても、はっきりとした輪郭は見えない。
 声だけははっきりと聞こえた。聞き覚えのある、低くて包み込むような声。
 「あなたは誰」私は聞いた。
 「知ってるくせに」ぼんやりとしていたが、
 そう言った彼が、向日葵のように笑っていることだけは認識できた。
 それが嬉しくて、私は彼の手を引いて、桜並木を歩き出した。

 カーテンの隙間から差し込む朝日で目が覚めた。私は枕元に手を伸ばして、そこにあるものを確かめた。本。昨日届いたひまわりさんの本。ベッドから出て、ドリップコーヒーを淹れた。コーヒーの香りに包まれながら、スマホニュースを流し読みする。ある記事に目が釘付けになった。

「本年度のBOOKSTORE大賞決定」

 1位はちょっと前に読んだ直木賞作家の新刊。大賞に選ばれるのは予想が出来たから何とも思わなかった。2位、3位・・・目に留まったのは上位の作品ではない。もっと下の方。普通なら見向きもしない順位かもしれない。だけど私にとっては、1位よりも輝かしいものだった。


8位


『向日葵が枯れる時』


待津野ひまわり


 ついに、ひまわりさんの本が、BOOKSTORE大賞で入選した。1位じゃないけど、それがまたいい。ひまわりさんの名前がタイトルに入っているから、きっと思い入れの相当強い作品なのだろう。私も大好きな物語。じわじわ来ていると感じていたのは間違いじゃなかった。

 気づいたら、昨日届いたばかりのひまわりさんの本を持って、家を飛び出していた。今日は祝日、仕事もない。電車を乗り継いで、いつもの場所に来ていた。そう、気が付いたら、いつもの本屋に、カフェのある私の行きつけの本屋に来ていた。この本は、ここで読むべきだと思った。本屋の入口から真っすぐ本棚の間を通ってカフェに向かう。ある本棚の特設コーナーを横目で確認した。いつもなら気にも留めないが、その棚は黄色でコーディネートされていて、その色が私を引き付けた。3歩通り過ぎたところで足を止め、2歩戻ってその特設コーナーに目を遣った。

 「BOOKSTORE大賞 8位 待津野ひまわり」と大きなポップが掲げられており、ひまわりの造花で華やかに飾られていた。入賞作品の『向日葵が枯れる時』と最新刊の『桜のあとで』が高く積まれ、これまでの作品も全て並べられていた。そして一番驚いたのは、コーナーに貼られたチラシだ。

【待津野ひまわりサイン会 開催!】

 1週間後にひまわりさんのサイン会が開催されると、そのチラシは教えてくれた。本屋の一角にイベントスペースがあることを初めて知った。やっと、ひまわりさんに会える。夢にまで見た日が現実のものとなるなんて。「良いことが起こる」やっぱりお告げは当たっていた。

・・・にしても、どうしてこの本屋で。

 ここ最近感じたものと同じような違和感が私の中に生まれていた。


つづく。

クリエイトすることを続けていくための寄付をお願いします。 投げ銭でも具体的な応援でも、どんな定義でも構いません。 それさえあれば、わたしはクリエイターとして生きていけると思います!