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"あらゆる生き方と人生に祝福を…" ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語 (ネタバレレビュー)

「なんか古めかしそうだな…」

これは僕が「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語」を見る前に抱いていたイメージだ。若草物語は19世期のアメリカを舞台にしたルイーザ・メイ・オルコットの古典小説でこれまでに何度も映画化されているほど世界中で愛されている物語だ。ただ僕は若草物語を読んだ事はなかったし、映画化作品も見た事がなかった。だから若草物語の魅力や今作がアカデミー賞にノミネートされるほど絶賛されている理由もよく分かっていなかったし、そもそもなんでグレタ・ガーウィグが若草物語を撮るのかもピンと来ていなかった。

しかし見終わってみると全てに納得がいった。そこには微塵も古臭さを感じないほどに洗練され、人間の様々な機微と人生を深い愛で包み込む優しさがあった。そう、グレタ・ガーウィグの作家性と若草物語はこれ以上ないほど相思相愛な関係性だったのだ。

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冒頭、出版社にて自身の小説が掲載される事が決まったジョーはとても嬉しそうにニューヨークを疾走するシーンからこの映画は何か違うと思わせる。誰もが堅苦しいドレスを着て、社会通念によって自分をさらけ出すことが今よりも難しかった時代において、このときのジョーだけは自分の感情を隠すことなくストレートに解き放っているように見える。ジョーだけではない。今作に登場するキャラクター達は皆、イキイキと自分の等身大な感情や気持ちを表明し、そんな彼らの姿に我々は心を鷲掴みにされる。思えばグレタ・ガーウィグの前作「レディ・バード」もそんな映画だった。人間味溢れるキャラクター達が語りかけるありふれた等身大な感情や気持ち…そこにドラマは生まれるし、19世紀でも現代でも変わりない普遍的なものである。

そんな今作では仲睦ましい四姉妹の少女時代と大人時代を巧みに織り合わせながら人生の様々なステージを描いていく。決して裕福とはいえないけれど、四姉妹の日々はとても豊かでかけがえのないものばかりだ。四姉妹で始めた演劇クラブやお隣さんであるローレンス家との交流、母マーチの優しい温もり、次女ジョーと四女エイミーの大喧嘩、三女ベスの病気、初めての社交界に緊張する長女メグ、そして親友以上の絆で結ばれるローリーとの出会い…何気ない日常のやり取りがどんどん愛おしくなっていく。ずっと彼女達の幸せな日常を眺めていたい気持ちでいっぱいになった。

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だがそんな幸せな日々は大人になっていくにつれて色あせていく。なぜなら結婚が現実味を帯びてくるからだ。19世紀を生きる女性にとって結婚は人生を左右する経済問題として立ちふさがる。なぜなら当時の女性が就く事の出来る仕事は限られており、女性一人で生計を立てることが難しいからだ。よって裕福な男性と結ばれる事こそが人生の幸せとして位置づけられている。そんな人生の岐路を目の前にしてメグは愛を信じて誠実だけど裕福ではないジョンと結婚し、貧しいながらも双子を産み育てる。一方、エイミーは生きていくために裕福な家系の男との結婚を決意するものの、自分や家族にとって本当に正しい事なのか悩む。そしてジョーは小説家になる夢を叶えるために結婚を拒否し、ローリーの告白も断るのだった。

人はみな自由に生きたいように生きるべきと考えているジョーにとって結婚至上主義な19世紀の価値観は息苦しくてたまらない。それでも強く生きていこうとするジョーだったが、初めて小説にダメ出しされた出来事や誰よりも家族を愛していたベスが病気で亡くったことを受けてジョーの感情はかき乱される。将来への不安、過去の後悔、拭いきれない寂しさ、世界の息苦しさ…様々な感情が入り混じって涙が止まらないジョーの姿に思わず共鳴してしまう。自由に生きたいだけなのに、なぜだか心は寂しくて仕方がない…今も昔もジョーのような息苦しさや孤独を感じている人は沢山いるはずだ。

そしてジョーはあの時断ってしまったローリーの告白を受け入れようとするのだが、ローリーは既にエイミーとの結婚を決めていた。ローリーもエイミーも自分の人生の幸せについて葛藤し、遂に答えを見つけたのだ。なんとも言えない気持ちを胸に秘めながらもジョーは彼らを祝福するしかなかった。この一連のジョーのあがきは「レディ・バード」を見ていたときのむず痒さを思い出させる。そしてメグ、ジョー、エイミーの三者三様な結婚の向き合い方は人生の幸せや複雑さ、気まぐれさ、融通の利かなさ、家族への想いや少女から大人になる時のあがきと通過儀礼など多くのものを浮き彫りにする…なんとも見事で多層的だ。

そんな経験を元にジョーは私小説を書き上げ、再び出版社へと向かう。話し合いの結果、結末は結婚してハッピーエンドという形に変更されるものの、キャラクター達の著作権はジョーが所有することで出版が決まった。きっとこれまでのジョーだったら結末の変更に怒り狂っていただろう。ただ彼女は人生には様々な幸せがある事、そしてどんな人生にも祝福が必要である事を知っている。だからこそ著作権を所有して自らの感情や葛藤、慣れ親しんだ風景、大切な人々など自分の人生の糧となったものを守る事を選ぶ。それはきっと誰かの人生にとって豊かで実りあるものになる。自分の小説が製本される様子を見守るジョーも自らの価値観や想いをジョーに託したルイーザ・メイ・オルコットも、そしてありふれたリアルな日常や感情からドラマを生み出すマンブルコアから名を馳せたグレタ・ガーウィグもきっとそう信じている。あえて現実の話と小説の中の話を曖昧にしているのも様々な人生を肯定するという意味で粋な計らいだと感じた。

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そして演出面においてもグレタ・ガーウィグは素晴らしい手腕を披露する。やはり素晴らしいのは過去と現在の時系列を巧みに繋ぎ合わせる脚色だろう。過去のエピソードと現在のエピソードが呼応し合う事でキャラクター達のドラマや心理描写がより深みが増すのだ。特にジョーがベスの死を知るシーンの重みは強烈に印象付けられる。また過去の出来事は温かみのある色調、現在の出来事は寒々しい色調といったように描き分けがなされ、カメラワークや登場人物達の動きも鏡合わせのように反転しているなどしっかりとした法則性があって気持ちがいい。もちろん美術や衣装も19世紀らしさとモダンな美しさが兼ね備えられていて、それらがフィルム特有の味わい深さで切り取られているのも眼福だ。そしてアレクサンドル・デスプラの劇伴も上品でありながらどこかアグレッシブで新しい。グレタ・ガーウィグからはモーツァルトとデヴィッド・ボウイを掛け合わせたような劇伴を求められたとのことらしい。ものすごい無茶振りに聞こえるが、見事に期待に答えるアレクサンドル・デスプラはやはり天才だ。

更に役者達の自然で飾らない演技を切り取るのもグレタ・ガーウィグの才能の1つだ。そんな彼女の元に集まった役者陣の演技は、今作の魅力を更に引き上げる。シアーシャ。ローナンのむき出しな感情の起伏やエマ・ワトソンの知的でフェミニンな雰囲気、エリザ・スカンレンの優しさ溢れる健気さ、フローレンス・ピューの型にはまらない自由さが見事なアンサンブルを奏で、ティモシー・シャラメの魅力的な隙の多さがアンサンブルに豊かなアクセントを与えていく。また若者たち優しく見守るローラ・ダーン、クリス・クーパー、ボブ・オデンカークの演技や世界の息苦しさを教えるという憎まれ役を買って出るメリル・ストリープの演技も忘れられなかった。

女性達の様々な人生の幸せや生き方を肯定し祝福すること、そして人生という小説に刻まれた喜怒哀楽や葛藤は誰かの人生を変える力があるという信念…僕は男性だが今作の懐の深さや力強い信念に大いに感動したし、とても勇気付けられた。きっと僕以上に感動したり、勇気付けられた女性もいると思う。そして今作で確信した、グレタ・ガーウィグは天才だと…。

ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語


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