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「あぁ、戻ってきたな」

祖母が亡くなった。95歳だった。
「そろそろかもしれない」
と母からの電話を受けてから、5日目のことだった。

18歳で私が進学を機に家を出るまで、一緒に暮らしていた祖母。
手芸が得意で、小さい頃は帽子やベストを編んでもらった。少し大きくなったら、編み物のやり方を教えてくれた。私は「手芸・折り紙」を趣味及び特技として公言しているけど、「手芸」は祖母から教えてもらったものだ。

ずっと祖父を立て、祖父が他界した後も、私の兄家族と一緒にひ孫と穏やかに過ごしていた。

「人前ではしっかりする」というのを徹底していた人だった。晩年、何日かに一度デイサービスに行く前に、お風呂に入って身体をきれいにしていたという話を母から聞いて、何とも祖母らしいと思った。

その祖母が亡くなり、先日私は3年ぶりくらいに地元に帰った。電車と新幹線を乗り継ぎ4時間ほどかかったが、久しぶりの感覚にきょろきょろしていたら、あっという間に家に着いた。

今私が住んでいる場所も決して都会ではないけれど、地元はさらに都会から遠ざかる。3年の月日が流れ、道路は少しずつきれいに拡がり、新しい家や工場なんかもできていた。でも、全体的に背の低い建物、遠くに見える山、ぽつんとある公園なんかは、記憶の中のそれとおんなじだった。

急なことだったので、あまり時間もなく、帰った理由が理由だけに、「せっかくだから色々な場所に行こう」という気持ちにはならなかったけど、お葬式の会場に向かう車の車窓や、火葬場に向かうバスから見える風景、全部終わって駅に向かう途中の道などに、18歳までの私が過ごした風景がいくつも思い出された。

なんてことない道。
小学校の通学路。
同級生の家。
田んぼと高架道路の交わる風景。
閉鎖してしまった工場の駐車場。
数回だけ使ったバス停。
比較的新しいコンビニ。

自分の家の玄関。

やっぱりこの街全てが、私にとっては特別だった。

新しい土地で、新しい家族を持ち、会社で役割をもらって働き、新しく向かいたい先を見つけて、すっかりそこの人間として生活をしているけど、この街に来ると「戻ってきたな」と懐かしさと安心感がこみ上げる。

そして、「しばらくいたいな」って思うけど「ずっといたいな」とはならない。今の場所で、新しい場所でやるべきこともやりたいことも、たくさんあるから。

祖母にさよならを言いにきたけど、そんな風に私の中で、この街が存在していたことを思い出した。

さっと気軽に行ける距離じゃないし、ご時世的にもさらに足が遠のいていたけど、こうして祖母にきちんとお別れができてよかった。

ありがとう。おばあちゃん。
また、時々帰って来るね。

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