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「薪を焚く」(読書感想文)


ずっと読みたかった本。
自然と共生しているノルウェーにとっての焚火。そして、その対軸にあるかもしれない日本。
それでも、ここまで焚火に関して書かれているこの本が、日本国内で読まれているのは何故だろうか。
心揺さぶられ買った本の感想文を書くこととした。

【あらすじ】

北欧の冬は寒い。 
屈指の寒冷地で古くから人は山に入り、木を伐り、 薪を積んで乾燥させ、火をおこしてきた。 
薪焚きは生活に欠かせない技術として受け継がれ、 いまもノルウェー人の生活文化に根づいている。 

伐って、割って、積んで、乾かし、燃やす―― 
ただひたむきに木と対話する。 
そこに浮かび上がる、自然との関わり、道具への偏愛、 スローライフの哲学、手仕事の喜び…… 

本書は薪焚きの実践的な知恵と技を伝えつつ、 エネルギー問題に取り組む社会の変遷、大気汚染を抑える燃焼技術の革新、 チェーンソーや斧など道具の歴史、薪愛好者たちへの取材など、 薪をめぐる人々と社会の物語を描き出す。
amazonより


ノルウェー人の生活様式


「薪を焚く」
この行為の持つ価値は、ノルウェーの社会だからこそ大きい。
日本人にとっては、焚火が生活の一部とは言い得ず、あるとしても年に数度体験するかしないかのキャンプ程度(人によるかもしれないが)。

しかし、ノルウェーでは、冬の寒さを凌ぐ手立てとしての意味を持ち、薪を焚くことができなくなることは、自身の生死にすら関わる。

とはいえ、本著を読み進めるうちに「生活のため」という単一的な価値のみではなく、薪を焚くための一連の行為は、「自己実現として」「自己対話」としての意味を含んでいるように感じる。

我らにとっては身近な「おしゃれな服を着たい」「部屋のレイアウトにこだわりたい」といった思考と似ているのではないか、と。

自身の原体験

私は新潟で生活していた一年で、木を刈り、薪を割るという体験をした。
「体験」ではなく「労働力」として。

地元の年配者に連れられるがままにハスクバーナ製のチェンソーを片手に林の中に分け入る。
そして、「どの木から倒していくべきか」「どの方向に倒すべきか」を議論しながら木に向かい合う。

倒した木はそのままでは運ぶことができないので、適度な大きさに玉切りし、それらを軽トラックの荷台に積み込み運搬する。

薪割り場に持ってきたら、今度は斧を駆使して薪を生み出していく。

切り立ての薪は水分含有量が多いため、薪棚に置いて乾かす必要がある。
「どこが風通しの良い置き場か」を探し出し、「どう言った積み方をすれば乾燥効率が高いか」を考える。

そして数ヶ月の乾燥に晒した薪が、焚き火において最高の仕事をしてくれる。


「刈る・割る・積む・乾かす・焚く」ーこれらの工程には、先人の知恵とその歴史の上に成り立つものだと知った。

【刈ること】

まずは、刈ることから。
まず何よりも大事なのが「倒す方向」である。
せっかく木を倒しても、完全に倒れ切らずに、周りの木に引っかかってしまったら意味がない。
倒れる方向を見定め、受け口を作る。
基本的には、受け口を入れた方向に木が倒れていく。
チェンソーは耳をつん裂くような轟音を発し、伐採者の耳を使い物にさせないが、それでもメキメキと響き倒れる音は、轟音の中でも一際響く。
その響く音こそが、伐採者の充足心を満たすのだろう。
「簡単には倒れないような木を俺は切ったのだ」と。

一方で、もし狙った方向に倒れていかずに、自分の荷物のある場所などに倒れていこうものなら大惨事である。
だが、自分の思惑通り倒すことができた場合は、自分の良き仕事ぶりに満足するだろう。
自己肯定感も満たされるはずだ。

次に、チェンソー。
ホームセンターに行けば、その性能・価格はピンからキリである。
だが、どんな機材を使うにしても、「手入れ」がその仕事ぶりを左右する。
私がお世話になった方のチェンソーは数十年もの年季が入っているが、全く故障をせず、かつ、切れ味はそこらの比ではない。

本人から話を聞いても、
「そりゃ毎日デスクワークをしてる奴らの使うチェンソーと俺のチェンソーじゃあ愛が違うよ」と。

全くもって理論的ではないが、本著でも、

「傷の一つひとつが、汗まみれになった森での日々を呼び起こす。薪人の多くは、艶やかなヤニのこびりついた道具を使い、作業に必要なわずかな道具それぞれに、強い愛着を抱くようになる」(p109)

と書かれる。
彼らにとっては、チェンソーも作業用としての道具ではなく、生活の一部をかたどる相棒なのだろう。

【割ること】

次に割ることについて。
これは仕事でストレスフルな日々を過ごす社会人にうってつけである。

程よく整えられた丸太を薪割り台の上に置き、斧を振り下ろす。
意外と力がいる。
腰を入れて振り下ろさなければ、木の硬さに跳ね返され、傷をつけるどころか自分の身体にガタがきてしまう。

しかし、一発でスパンと割ることができれば、それはカタルシス。
それは、ムカつく上司を殴り飛ばしたりするような快感。
ストレスの吐口としての薪割り。
世はキャンプブームだが、薪割りブームが来てもいいと個人的には思っている。
私も薪割りの魅力に取り憑かれ、My斧を買ってしまうくらいには。

水野製作所で購入。燕三条の地場品。



ちなみに奥さんには、「またそんなものを買って」と冷たい目で見られたのはご愛嬌。

人が普通持っていないような「かっこいいもの」を欲しがる心理は、もし、凝り性の毛のある方ならわかってもらえるのではないだろうか。

まあそれはさておき。
この斧はよく切れる。
自分で愛着持って可愛がっている斧で、丸太を薪に変えていくこの作業は何事にも変え難い。

「狙いを定め、鋼鉄の斧を延々振り続けるという単純だが集中力のいるこの工程は、現代生活の重荷を取り除いてくれる作業でもある。薪づくりをする者は、頭のなかであれやこれや考えていてはいけない。この一瞬、ほかのなにかをする余裕はない」(p150)

と、本著。
俗世間を忘れるために自分だけの世界に入る術であると同時に、フラストレーションを発散することができる。
一石二鳥、一挙両得。お得である。

【積むこと】

先にも述べたが、刈ったばかりの薪を焚火にすることは難しい。
それは、まだ水分含有量が多いため、着火しづらいことにある。

ではどうするのか。
それには、薪を積み上げて乾燥させる必要がある。
積み方にはいくつかのパターンがあるが、ノルウェーでは薪棚の芸術性を競うコンクールが開催されるほどの注目のされようである。
(公式ページを見つけられなかったので、どんなものがあるか気になる方は「薪棚 ノルウェー」と検索してみることをお勧めする)

積み上げるべき薪の量は数百kgにも及ぶため、雑な作りの棚であったり、積み上げ方を考えないような薪の積み方をしては、簡単に棚が壊れてしまう。
かといって、密な積み方をしていては、薪に十分な乾燥を与えることはできない。

おそらく、男の腕の見せ所なのだろう。
ノルウェー・スウェーデンでは、薪棚への薪の積み方によってその男の性格がわかるという。

まっすぐでがっしりした薪棚
→まっすぐでしっかりした男性
背の高い薪棚
→野心的。傾いで崩れないか注意せよ
大量の薪を地面に直置き(=乾燥を怠っている)
→無知。堕落している。大酒飲み
薪棚がない
→夫になる資格なし

薪棚といわず様々なバリエーションで置き換えができそうだが、あえて「薪棚」に着目しているのが、さすがである。
私の場合、大酒飲みなので、薪を地面に直置きするような人種になるのだろうか??

【焚くこと】

子供の頃、キャンプで焚火をしようとした際、なかなか火がつかずに時間を溶かした経験のある人は多いのではなかろうか。

着火剤を惜しみなく使っても、火がつかない。
ご飯を調理しようにも火がつかないのでどうしようもない。
という経験が。

今はガスやIHといった文明の利器の恩恵に預かっているが、それらがない時代は「火を焚く」ということの価値は相当に高かったものと思う。

火は昔から神聖視される対象の一つでもあり、火炎崇拝という信仰もある。
生活と切っても切り離せない側面は、いまだにノルウェーには根強いものだと思量する。

薪の燃焼は段階的に行う必要がある。
まず、燃焼の第一段階として、まず外皮に含まれる水分が蒸発しなければならない。
蒸発しきって初めて第二段階へ移行することとなり、木の燃焼ガスに火がつくことになる。
燃焼ガスが枯渇すると、炭化するという流れである。

だからこそ、薪の水分は少ない方が良いし、焚き付け時は段階的に火量を強めていく必要がある。
まずは新聞紙に、それから割り箸に、それから細い薪に、最後に太い薪に。
徐々に火を育てていく感じは、段取りに重きを置く社会人になくてはならないものだし、火をスマートにつけられる人は仕事ができる人だと勝手に思っている。
いきなり、良い武器防具もなしに高難度クエストに臨むか、下調べ・下準備をしてクエストに臨むか、それくらいの差があるんだろう。

閑話休題。
一回、火がついてしまっても安心はできない。
薪一本の燃焼量・時間は有限なため、随時薪を足していかなければならないと同時に、火を絶やさないために薪の組み方を常に思考していかなければならない。

言葉にすると難しく聞こえるが、いざ実践してみると無心になれる。
聞こえてくるのは薪の水分が蒸発する「パチパチ」という音。
決して同じ動きを繰り返さない火の揺らぎ。

この時だけは火と向き合える時間だ。
スマホをいじることもない。
ただただ焚いている火を眺めること。
この時間だけは誰のものでもない。

キャンプ場にて。

おわりに

ここまで書いていて、どうした結びにしようか考えていた。
ただ、どの項目においても薪を焚くための一連の行為が、「自分と向き合う」「自分だけの時間」として捉えている自分がいることに気づいた。

よく、老後はスローライフを実現したいと秘める日本人がいる一方で、スローライフを自分の生活の中に体現する姿が本著では描かれている。

そして、生活のバランスとして、仕事に重きが置かれている自分を見つめ直すヒントを与えてくれているのではないか。

自分が自分のライフスタイルに何を望むのか、向き合うための手助けの書となる本だと思った。

自分の生活とは?
どんなライフプランを描いていく?
自分の何がしたいの?
考えていきたい。

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