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「みかん」

 ぽかぽかしている。
 おばあちゃん特有の畳のような癖のある匂いにつつまれて。安心する匂い。
 今にも意識が飛びそうな中、隣にいた姉がつんつんと私の唇をつつく。小さく口を開けると、甘酸っぱい冬の風物詩が口の中いっぱいに広がる。赤ちゃんみたい、とクスクスと笑う姉に対して、ふふと笑い返しながらゆっくりと意識を手放す。
 そんな正月休み。

 あの空間が大好きだった。1階から響く祖父と叔父が動かす機械と鉄の削れる音をBGMにし、3階で冬の時期に祖父母の家でだけ出てくるこたつに入り、欲望の赴くままゴロゴロし、寝て、姉や母が剝いてくれたみかんをわけてもらう。そんなドラマにはならないような気ままな日常が好きだった。
 だが、あの空間はもう存在しない。
 叔父が癌を患い、精神的ストレスから祖母や母に強く当たるようになり、その果てで祖母を家から追い出したから。大好きだった祖父母の家は、今や誰も住んでいない。癌が治った時のモチベーションの為だ、とほざき、治療費として両親が善意で渡したお金で叔父が購入した高額な機械は、未だに機械としての役目を果たせずに1階の工場の中で泣いている。あんなにも温かい空気をまとっていた祖父母の家は、今や重く冷たい空気を纏っている。

 この間、スーパーに行ったらみかんが売られていた。ふとあの空間の記憶が蘇り、気づけば手に取っていた。家に帰り、暖房をつけ、祖母にもらった半纏を着て、ホットゆず茶を作り、よし食べようと袋から1つ、みかんを取り出す。切れることなく綺麗に剥けた事に1人寂しく喜びを感じつつ、久しぶりのみかんに心躍らせながら口に一かけら運ぶ。
 おいしいが、美味しくない。
 いい感じに熟しており、味はあの時と同じようにおいしかった。しかし、あの時と同じように心がぽかぽかするような温かい気持ちにはなれなかった。あの時と同じように美味しいとは感じられなかった。これ以上食べ進めても虚しさだけが込み上げてきてしまうと感じ、食べるのを途中で辞めた。

 先日、帰省を終えて東京に帰ってきた恋人の家にお邪魔するとみかんが置いてあった。「母さんがくれたんだ」と優しい笑みを浮かべる彼を見てほんわか心が温かくなった。その日中にやらなければならない課題を思い出し、パソコンと向き合っていると、視界の端にずっといた彼がどこかへ行くのがわかった。どうしたんだろうと思いながらも、課題が乗ってきた私はキーボードを打つ手を止めなかった。その数分後、「はい」という彼の声と同時に唇に何かが触れた。口を開けると、あの甘酸っぱい冬の風物詩が口の中いっぱいに広がった。顔を上げれば、同じように一かけらを口に放り込み「あ、美味しい」とつぶやく彼がいた。
 美味しい。
 正直、この間スーパーで買ったみかんの方が小ぶりではあったが熟していて甘かった。だが、あの時と同じように心まで温かくなるような美味しさがそこにはあった。

 結局、彼は自分が剝いたみかんの半分以上を私にくれた。同時に、あの空間でも毎回姉や母は、自分が剝いたみかんを半分以上私にくれていた事を思い出した。「自分で剥きんよ~」と言いつつ、嬉しそうに笑いながらくれた姉と母の顔が、次の一かけらを持ち、私が食べ終わるのを今か今かと待ち構えている優しい顔をした彼と重なった。
 他人が剥いたのを食べるのが美味しい、という事が言いたいわけではない。みかんを剥く。その後アルベドを綺麗にとる。少し面倒な作業だ。爪の間も黄色くなってしまう。それを厭わず、時間をかけて剥いたみかんを私にくれるその行為は、その人の優しさや私に対する愛情を感じさせてくれ、心が温かくなるのだ。だから、あの空間で食べたみかんも、彼の家で食べたみかんも、1人家で食べたみかんの何十倍も美味しく感じたのだ。
 私もいつか誰かにみかんを__

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