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めんどくさいvsもったいない
夫が買ってきた柑橘を2人でいざ食べてみると、味がすっかり抜けていた。一応、ミカン科でブランド名の付いた柑橘だったのだが、もう季節が終盤も終盤だったのだろう。文句は言えない。(なのでこのnoteではふわっと「柑橘」と表現することにする)季節の変わり目、いまは旬のフルーツが少ない時期だ。それでも、どうしても、「フルーツが食べたいッ!」と、夫が手に取ったのがそれだったのだ。
しかも3玉パックを買ってきたもんだから、残りは2玉。どないしよ。そもそも、柑橘類をすこぶる好んで食べるのは夫のほうなのだ。その夫が、「こんなにカスカスしたのん、もう食べたくない……」としょぼくれている。それはわたしも同感だよ。
けっきょく、残りの2玉はそっと冷蔵庫に戻され、ドアを開閉するたびに「ごめんなさいいいいぃ」と念じながら数日間を過ごした。柑橘というのは強いもので、表面から見た限りまったく痛む気配がなかった。恐る恐るひっくり返してみても、底になっていたほうがプヨプヨしたり黒ずんでもない。
中身はピークアウトしていたとしても、表向きは元気な姿のままの柑橘。健気である。どうにかしなければとぼんやり考えていたわたしは、ふと思いついた。
(これは、ジャムだな……)
妥当なアイデアだと思った。むしろ救済策として、これくらいしか引き出しがなかった。ただ、問題もある。夫がこの世界でキライな食べ物のひとつが、よりによってジャムなのだ。(ちなみにもうひとつはマシュマロ)自分ひとりのために仕込むとなると、本音をいいます、すっごくめんどくさいのです。
「ジャムを煮る」ということばは、かわいい。丁寧な暮らしのにおいがして、魅力的だ。その行為だけでなく、わたしはジャムという完成品も好きだ。しかし、なんでこんなに腰が重いのだろう。今回なんて、ジャムを作って柑橘を救済すると決めたその日に、砂糖も買い足したというのに。そもそも材料だって、柑橘と砂糖、それだけである。後回し、後回しでさらに数日経ってしまっても、柑橘はピンピンしていた。はぁ、おまえは健気だなぁ。
めんどくさいともったいないの長い攻防の末、わたしはようやくペティナイフを握った。
柑橘のジャムを作る場合、めんどくさいのは皮の処理である。皮を水洗いし、表面のワックスをとるために下茹でを繰り返す。やわらかくなったら、細く刻む。そして薄皮も、剥く。皮と実の総量を計り、砂糖はその40~50%。書いているとなんら難しいこともないのだが、頭のなかでこれらの工程を考えている段階では、どうにも気が進まない。
ただ、「えいっ!」とやり始めるとそれはもう勝ったも同然。単純作業だし、下茹での段階で部屋中さわやかな香りで満ち満ちる。なんかええことしてる気分、になれるのだ。
砂糖の分量が決まったら、皮と実にまんべんなく砂糖の半量くらいをまぶす。少し時間を置くと、柑橘からじっとりと水分が出てくる。さいしょに食べたときは、あんなにスッカスカに感じたのに、まだちゃーんと水分を持っていた。残りの砂糖を入れたら、そこからは、弱火でとろみがつくまで煮るのみである。
皮と実がひとつの鍋でクタァと一体となり、味が抜けていたなんてウソだろっ!?っていうくらい、おいしそうなジャムに仕上がった。きび砂糖を使ったからか少し茶色寄りのオレンジも、不揃いに刻まれた皮も、ご愛敬。だと思った。
ヨーグルトやバニラアイスに添えたり、紅茶に入れてもいい。でもまずは、トーストで食べたい。ジャムトーストには、たっぷりのバターは必須である。さっそく朝に食べてみる。
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ここまでたどり着いたわたしは、めんどくさくて腰が重かったことも、もったいなくて柑橘と目が合うたびにこころが痛んだことも、もう忘れている。
ただ(皮がちょっと分厚かったな?)とか思いながら、にこにこしてそれを平らげた。
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