私のうつ病悪化を家族が認識したときのお話
実家に帰ってきてから、幼児3人をほぼワンオペしながら幼稚園探しやアパート探し、次男の療育などについて動いていた。弟嫁のサポートをしたり、両親の仲を取りもったりもしつつ、行政の対応に不満も募っていた。
実家に帰ったらうつが再発することは確信していたから、キツいなと思った時点で自己断薬したときに残っていた薬を飲み始めた。
薬が切れそうになった時点で引っ越し前にお世話になっていたメンクリに予約をとり、それまではと耐え忍ぶ日々。
旦那には薬をまた飲み始めたことを伝えていたけれど、明らかに前より酷くなっている自覚はあり、受診日を今か今かと待っていた。
日中は仕事に行っている旦那に私のこんな姿を見せたくなくて、嫌われるのが怖くて、夕方からは旦那がいつ帰ってくるかと普通に振る舞えるだろうかといつも憂鬱だった。
そんなときにOD(オーバードーズ)について見かけた私は、受診日の前日の夕方に残っていた薬を13錠くらい飲みレモンサワーの原液も少し飲んだ。
そこからの記憶はない。
旦那に聞くと、とにかくひたすら
「こんな私でごめんなさい、ごめんなさい。私と結婚しなければあなたはもっと幸せになれたはずなのに。大好きな人を幸せにしたかった。ごめんなさい。」
と謝り続けていたらしい。
私が気付いたのは翌朝で、昨夜履いていたものとは違うズボンとパンツが濡れていた。
記憶がないときにお漏らしして着替えさせてもらい、2回目のお漏らしだったのだ。
起きたときには酩酊状態で、1人では歩けないくらいフラフラだった。
その出来事を通して、旦那や両親は私のうつ病が悪化していることを突きつけられたのだろう。
その日から旦那は仕事を休み、薬の管理は母が行い、父も体調を気遣ってくれた。
私はほぼ寝たきりになり、旦那が育児をし、それを母が手伝い、父が食事を作ってくれる。
一時期は、市販薬のODに留まらず、母の不在時に部屋に入って薬を取って飲んだり、自傷行為も日常的に行っていたから、私を家に1人にさせないように家族みんなが配慮してくれていた。
1人にすると何をするかわからなかった、私自身も。
それでも私はODも自傷も繰り返していたのだけど、今はODも辞め自傷行為の衝動も減っている。
昔から家族ぐるみで仲良くしている遠い親戚のおばさんが来た時のこと。
私は今の自分の状態を普通に説明していたのだけど、その場にいた父が「俺たちにはわからない世界だよ。」と言ったのがすごく印象に残っている。
そう、普通に生きてきたら、自分で自分の体に傷をつけたり薬を過剰に飲んだり、死にたくて仕方がない気持ちを耐えることもないんだろう。
大多数の人には知らない世界なのだ。
でも、それでいい。知らないで生きていけるならこんなに幸せなことはないよ。
でもね、もし知ってしまったらいつでも頼ってほしい。一人で抱え込まないで。多分、思っている以上に辛いことだから。
P.S.
安定してきたとは言え、毎日、いや数時間単位で変わる感情の波。
もし私からの返事がなくても発信がなくても気にしないでね。
調子が良いときに返します。
こんな私を支えてくれてありがとう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?