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目まぐるしい日々と私の本音、うつ病の記録

以前のnoteからだいぶ間が空いてしまったので、ここ数ヶ月のバタバタを簡単に。

◎6月頃 旦那が仕事が辛いとこぼしたので心療内科の受診を勧める
◎7月  ストレス障害の診断がおり、上司に報告。転勤先の役職を降りて地元に帰るか?と聞かれる。上司のその上の上司が訪問して面談。8月4日に再訪問するのでそれまでに考えておくように言われる。旦那の中で地元へ帰る決意が固まる。
◎7月下旬 上司から8月中旬に帰る辞令が出る。(この時点で引越し予定日まで3週間。は?)
その日からとにかく引っ越し業者探しやら各所連絡や引っ越し準備が始まる。
◎8月中旬 無事に引っ越し完了。アパートを探す時間がなかったのでとりあえず転勤前に住んでいた私の実家へ戻る。

ここからほぼワンオペ育児をしながら、3人の子どもたちの幼稚園・保育園探し、次男の療育について、アパート探し、家庭不和の仲裁・調和など。

とまあ色々バタバタしてる間にストレスで私の鬱が急激に悪化。全く動けなくなったため、旦那が有給消化→休職で育児を担うことに。手続き各種もすべて任せ、年長の長男だけは公立の幼稚園に入園。次男とむすめの預け先は見つからず3月までは家庭保育、4月から入園できるように申請。

地元の役所の対応も悪くストレスを抱えながら、ややこしい療育までの道を一歩ずつ進み、やっと受けれそうなところまで来ました。

旦那自身のストレス障害(仕事・パワハラが原因)もあるため、休職中は傷病手当金を申請し、これから私の障害年金も受給できないか検討中。

経済面でも育児面でも実家を頼らずを得なくなり、当面はこのままお世話になる予定です。


と、ここまでは(出来るだけ)起こった出来事を綴りましたが。こっからは私の本音を言わせてください。

地元になんて絶対帰りたくなかった!向こうの幼稚園が大好きだった!お友達もたくさん出来てこのまま近隣の小学校にも一緒に通えると思ってたのに。次男の療育だって園長先生からの紹介ですごくスムーズにつながり、幼稚園での様子を見てもらいながら色々と話をしたり巡回相談を始めたばかりだったのに。6月に3歳になったむすめは7月から同じ幼稚園へ入園したばかりだったのに。私だってまだ収入には繋がってなかったけど、お世話になってる個人サロンの一角でセレクトショップを始めたばかりだったのに。もっと色んなところに遊びに行きたかったのに。


知り合いがいなくて他人の目が気にならない向こうでの生活が私もとても気に入っていた。家族5人での生活。経済面では苦しかったり、私が家事苦手なせいで旦那の負担が大きくなってしまったり、それでも旦那と何度も話し合いを重ね、週末には家族みんなでお出かけしたりなんとか楽しく生きていた。快適で幸せだった。地元では出来ない体験もたくさんしたし、賃貸の一軒家もすごく気に入っていた。私の症状もだいぶ落ち着き、2月からは服薬もしていなかった。(自己断薬だけど)
地元はまだしも実家に帰れば私の鬱が悪くなることは確信していた。帰りたくないと泣いた日もあった。

でもそもそも旦那の転勤があったから来れた土地だし、そこでの出会いは私を救ってくれた。住んでいた家だって、探したのは旦那とは言え、会社が契約したため社宅のような感じだった。旦那に「俺帰ることに決めた」と清々しい顔で伝えられたとき、私は顔がひきつり咄嗟に言葉が出なかった。話し合いしたときには「旦那が体壊してまでここで仕事する必要ない。家族みんなが笑って過ごせるならどこでもいいじゃない。」って言ったはずなのに。

正直、その時点で転職して家を引っ越してでも残りたい気持ちはあった。でも経済的に難しくて。
辞めずに帰るのなら引っ越し代は会社が負担してくれるから、帰る道を選んだの。

そして今に至るわけですが。


うつ病の症状は一時期とても酷くて、ほぼ寝たきりの引きこもり。外に出れない、人と会えない。OD(オーバードーズ)も自傷行為もした。希死念慮や不安感が強くて、死にたいとばかり考えていた。

転勤先に行く前からお世話になってたメンタルクリニックにまた通っていたけど、薬を増やされただけで症状は良くならなかった。だから遠いけど大きい病院に転院した。

初診のときは旦那と同伴だったのだけど、知らない場所がすごく怖くて緊張して震えが止まらなかった。血圧を測った時の心拍数は120まで上がっていて、先生も私が怯えているように見えていたみたい。
ゆっくり話を聞いてもらううちに緊張もほぐれて普通に話せるようになった。そして薬が多すぎるからと減らしてみることに。睡眠薬も合わずに眠れない日が多かったから、変えてもらった。

そしたらびっくりするくらい症状が安定した。突然襲ってくる不安感や希死念慮も、衝動的な自傷行為やODもほとんどなくなった。昼間の活動量もほんの少し増えた。これなら大丈夫、生きていける気がしたんだ。

2週間後、2回目の受診日。
先生にそれを伝えると驚きながらも喜んでくれた。睡眠は寝付きは悪いし眠りは浅いし何度も起きるけど、前よりは全然マシ。体に悪いところはないかも調べてもらうため、血液検査と検尿もした。結果は次回。


という現状です。

ずっと周りの人に知られるのが怖かったけど、インスタでもTwitterの本アカでもカミングアウトした。無理して背伸びせずに私のペースで生きていきたいと思ったから。というかそうしないと病気も良くならない気がした。

実際これからどんな診断名が付くかもわからない。いつ治るかも分からない。もしかしたら何年もかかるかもしれない。

そりゃ今でも、仕事どころか家事や育児まで出来ずにお世話され、迷惑をかけ続ける日々に絶望するし死にたくもなるよ。でも私の大切な人たちを悲しませたくないから、もう少し頑張ってみようと思う。


色々思い出しながら書いていたらとても長くなってしまったけど、記録としてここに残しておくね。

そして、私の大好きなみんなが元気でいてくれることが私の願いです。


P.S.
自傷画像のフォトブックも販売してます。私が生きようともがいた証。固定記事から詳細見てもらえるとありがたいです。

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